2005年04月03日

敗北

 彼には、どうしてもわからなかった。
 自分の周りの人々が、街を行く人々が、なぜあのように冷静でいられるのかが。
 彼らは、怖くはないのだろうか?
 彼は怖かった。
 毎日が、不安だった。
 一刻毎が不安で仕方がなかった。
 秒針が動くたびにどきりとしていた。
 刹那が過ぎるのを、息を潜めて待つしかできなかった。
 しかし、彼はその不安を口にするほどに愚かではなかった。
 母の前では利発さを演じ、友人の前では楽しさを演じ、教師の前では従順さを演じた。
 心中した男の小説を読み、自分以外にも同じことを考えている人がいたことを知った。

 死んだ男は、自分を道化だと表現したが、彼は、自分はコンピュータのオペレーションシステムのようなものだと思った。その時々に最適なプログラムが走り、それをあたかも彼自身の姿であるかのように見せつけている。本当の自分は、暗く、味気ないコマンドラインなのに、鮮やかなウィンドウでいつも誰かを欺いている。
 道化を演じるうちに、自分がわからなくなり、無計画なアプリケーションのインストールが、カーネルに様々なゴミを残していくように、彼の人格も、いつしかがたがたになっていた。
 表層は互いに依存し、干渉し、はじめは自分を守るすべであったものが、彼を苛み始めた。

 解決を図る必要があった。
 心中した男は、わずかな光を文学に求め、その徒花を咲かせることができた。
 彼には、文学の才能は乏しかった。かといって、音楽、絵画、映像などの才能が豊かなわけではなかった。芸術の中に、歪んだ自分を表現してそれに向き合うことは許されなかった。

 そこで彼は、論理を学んだ。
 バラバラになった自己を整理、統合していくために。
 しかし、この挑戦は彼の圧倒的な敗北に終わった。
 学んだ末にできあがったものは、いくつかの新たなアプリケーションだけだった。
 結局、統合などできなかった。
 いや、できなかっただけではない。
 今や彼は、完全に自ら作ったものに苦しめられていた。
 自分であったはずのものが、彼を責める。
 誰かが笑っている。自分ではない誰かが。
 この、顔面の筋肉を動かしているのは誰なのか?
 この、バカのような声を上げているのは誰なのか?
 この、甘い言葉をささやいているのは誰なのか?
 この、自信に満ちあふれた顔をしているのは誰なのか?
 誰だ? 誰だ? 誰だ? 誰だ? 誰だ? 誰だ?
 自分じゃない。
 自分のはずがない。
 なぜなら、自分はここにはいないのだから。
 ぼんやりとした不安、そう残した作家を思い出す。

 夢を見た。
 彼が彼の首を絞め殺していた。
 それが夢だったと気が付いたとき、彼はそれが正夢にならんことを一心に祈っていた。
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2005年03月18日

下手くそ

うまく話せない。
うまく笑えない。
うまく書けない。
うまく描けない。
うまく泣けない。
うまく怒れない。
うまく撮れない。
うまく切れない。
うまく聞けない。
うまく唄えない。
うまく弾けない。
うまく踊れない。
うまく愛せない。
うまく吊れない。
うまく撃てない。
うまく飲めない。
うまく眠れない。
うまく飛べない。
うまく喜べない。
うまく交われない。
うまく悲しめない。
うまく希望できない。
うまく後悔できない。
うまく絶望できない。
うまく、生きられない。
だから、うまく、死ねない。
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2005年03月13日

無意識無自覚

何時間起きているのか、
何時間寝ているのか、
それも定かではなかった。
思考が始まらない。
何も分からない。
何も動かない。
止まったままでいる。
停滞。
ここは、暗闇でもなく、光の中でもなく。
溢れているのでも、枯れているのでも。
何も無く、何も無い。
虚空に飛び降りても、何も思い出しはしなかった。
こんな自分の頭の中に、どれくらいの脳漿が詰まっていたのか。
最期にそれを見届けられなかったのが、たったひとつの心残りだった。
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2005年01月31日

このまま、何もかもを吐き出してしまえたら、と思う。
そして、咳き込む。
ある句を思い出したりもする。
それくらいに、孤独。
咳き込み、喉が苦しい。
ひとりも、苦しい。
苦しい、苦しい。
咳が止まらない。
苦しい。
喉を掴む。
苦しい、苦しい。
力を入れる。遠くなる。
このまま、力を入れ続ければ。
咳が止まらない。
苦しい、苦しい。
呼吸を止めてしまえば、咳も止まるはず。
喉を抑える手に、いっそうの力を入れた。
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2005年01月27日

しんえん

今宵は、真円なる月が光る。
深淵なる闇の中、光り輝いている。
神苑なる光景に、
深遠な恐れを抱く。
太陽に比べて、数倍も神々しい光が、私を照らす。
この光ならば、心猿にもなろう。
だから、神垣を越え、深遠なる神苑の中、真円で深淵な深怨におちてゆく。
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2005年01月25日

夜の電車

夜の電車は死にたくなる。
疲れ果てた会社員。
平日だというのに酔っぱらったオヤジ。
妙に気取っているOL。
朝の電車では沈黙を楽しんでいたそいつらが、一斉に話しだす。
その雑音の中、僕は死にたくなる。
下らない言葉の中、何も信じられなくて、死にたくなる。
ただ、夜の電車に飛込むのだけはやめようと思う。こんな意味のない言葉の塊だけは、嫌だ。
だから、駅に着いたら、ロープを買いに行こうと決めた。
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2005年01月22日

クスリ

寒気がしていた。
体中の関節を痛めつけていたその何かは、いつの間にか頭を挟み込んでいた。
苦痛。
ぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎり
ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち
だから、薬を飲もう。
痛みを忘れられるように。
苦しみを忘れられるように。
この、ぼんやりとした不安も忘れられるように。
薬を飲もう。
たくさんたくさん、薬を飲もう。
青い錠剤も、白い粉末も。全部、全部飲もう。
そうすれば、きっと全て良くなるはずだから。
痛い、と思う心も、居たい、と思う心も、全て遺体になるだろうから。
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2005年01月19日

疲労感

徒労の末に何を求めているのか、分からないけれど。
とにかく、もう疲れてしまったから。
終わろう。
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2005年01月16日

冷たさ

雨が降る。
冷たい冷たい雨が降る。
どうせ、これほどまでに冷たいのなら、いっそ、雪になってほしいとも思う。
そうすれば、いくらか街はきれいになるだろう。
いくらかは手に触れる事ができるようになるだろう。
雪が積もって、周りが白で埋め尽くされて、
それを赤で染めるというのは、とてもきれいに見えるはずだし。
でも、今は雨。
私から流れる赤は、冷たい雨に流されて行くだけ。
……雪になれば良いのに。
最期に、そう思った。
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2005年01月15日

Rain Fall

落ちてくる。雨が落ちてくる。
私の髪を、身体を、濡らしていく。
冷たい。
そう感じて、私もまだ冷たさを嫌だと感じる事が出来たのだと気がつく。
もう、そんなこと感じないと思っていたのに。
だから……
今なら、感じる事が出来るだろうか?
私は終わる事の悦びを感じようと思って、ナイフを手首に当てた。
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