2015年12月02日

ss18

 鋭いカウント四連。
 ざわめきも戸惑いも吹き飛ばすような轟音の始まり。ローズウッドの指板を、彼女の左手の指が蠢く。誘っているのか、付いて来られる? と。あの夜の続きなのか、それとも、ここからの決別なのか。俺は、四弦を親指で撃ち抜き、二弦を人差し指で引き剥がし、追いすがる。歓喜に身をよじるような弦の震えを二台のシングルコイルピックアップが拾い、ジャズベース本体のサーキットが電気信号を愛撫するように床で蜷局を巻く漆黒のシールドに伝える。アンプまで到達した震えはトランジスタに暴力性を与えられ、スピーカーコーンから空気を陵辱する。彼女の指が震わした六弦は、ディストーションと真空管に犯されながら、空気中で俺の四弦と絡み合う。バスドラムのベッドの上、スネアの褥の中で愛し合う。お互い、最も感じるところはわかっている──唇と唇を繋ぐ唾液のようなシンコペーション、強く打ち付けるようなブレイク。パラベラムのようなスラップと、ジャックナイフのようなスイープ。
 永遠には続かないジャム・セッション。
 たった、数分間の快楽。
 その限られた時間の中で、可能なだけの痕跡を残そうと、右腕を振える限りの速さで弦に叩き付ける。彼女のギターは、そんな俺を玩ぶかのように軽々と遊ぶ。届かない手。その後ろ髪を見送るだけなのか? 脆く、崩れてしまうような空気の中、おそるおそる触れた柔らかな肌。覚えたての少年のように、求めるだけ。厭きた娼婦のように、いなす。それでも、離れることを厭う身体と、身体。指が、唇が、足が、身体の隅々まで、感じる心。火がついた導火線は、消えることを知らない。淫靡な硝煙の香り。高みまで登り詰める。限り無ない漸近線。
 身体を入れ替えるようなブリッジ。そして、貪るだけのサビ。
 何度も、何度も。
 響く喘ぎのようなギターリフ。背中をなぞるようなベースライン。
 慈しむように。
 愛したことは、罪ではない。溺れたことは、間違いではない。
 ただ、俺と、彼女のどちらもが、すべての原因であり、たったひとつのメロディーだった。
 愛しさも、悦びも、切なさも、嫉妬も、憎しみも、すべてが、五線譜の上の物語。
 そして、今、その物語に終幕を──
 果てたのは、彼女と俺、どちらが先だったのか。
 高音部のフレットで抑えられた細く美しいギターの一弦が、フィードバックで快楽と悲しさを増幅させていく。ベースの四弦は、低く、限りなく低く、解放されたやるせなさを溜息のように漏らしている。
 オクターブを隔てた、別れの言葉。
 余韻の中、俺は、この感触すべてを忘れることはないだろう、と思っていた。

"Last GIG" is over.
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2015年12月01日

ss44

「先輩、指きれいですね」
 彼女が突然そんなことを言い出したのは、二人、喫煙所でちょっと休憩、なんてしてるときだった。
「そんなこと言われたの……初めてかも」
 自分ではそう思ったことなんてないし、ちょっと恥ずかしい。
「そんなぁ。きっと、みんな見る目がなかったんですよ」
 そう言って、彼女は、タバコを持っていない、私の左手に触れる。
「そう……かなぁ……」
 細い指の感触に、ドキドキと胸が高鳴る。誤魔化すように、タバコを口にする。
「そうですよ──」
 そして、そのまま、私の指を顔の前まで持っていく。
「──!?」
「こんなに、いい匂いだってするのに」
 くんっ、と軽く匂いをかいで言う。
「ちょ、何やってるのよ。──タバコ臭いでしょ?」
 その指先が、自分のものじゃないみたいに熱くなりそうで、こわくて、逃げるように振り払う。
「でも、それも、わたしの好きな先輩の匂いなんですけどね」
 そう呟く彼女に、私の心の匂いも見透かされてしまいそうで、
「もう、そんなこと言わないの」
 と、灰皿にタバコを沈めた。
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2011年06月15日

Dk_01

 仕事中は、本を読めないから嫌いだ。
 でも、もっと嫌いな理由は、彼と離れていなければならないから。
 帰りの電車の中で本を読んで、文字の乾きは癒すことができるけれど、彼を求める乾きはさらに苦しさを増していく。文字を──小説を読むと、その向こうに、同じものを読んでいる彼の姿が見えるから。ページをめくる、ごつごつした意外に男らしい指。軽く伏せられた視線は、真剣に文字を追う。その指が、僕をなぞってくれれば。真剣な視線を、少しでも僕に向けてくれれば。そう考えると、本の内容なんて全然頭に入って来ない。
 駅からの道も、気をそぞろに急いで部屋へと帰る。

「あ、お帰り」
 その人──でるた先輩は、いつものようにソファに座って本を読んでいた。
「──ただいま」
 まるで、僕のことなんか、その読んでいる小説の一行にも如かず、という雰囲気に、僕は、その本に嫉妬してしまう。
「何、読んでるんですか?」
 そんな、本に嫉妬したって、何もはじまらないのに。
「ん? 電撃の新刊。こんこん先輩も読んでるんじゃないの?」
 そう言って彼が見せた本の表紙は、僕が帰りの電車で読んでたものと一緒だった。
「──それ、面白いですか?」
 本に、小説に罪はないのに。
「え? まだ読んでないの? うーん、まぁ、面白いよ。たぶん、こんこん先輩も気に入ると思うけど──」
「そんなのっ!」
 思わず、大きな声が出る。
「──そんな小説よりも、僕を……僕を……」
 僕は、いったい何を言ってるんだ?
「──おい、まさか、本に嫉妬してるのか?」
 ちょっと戸惑ったような、そして、子どもがおもちゃを見つけたような視線を感じる。
「悪い?」
「悪くないよ──それじゃあ、この本はここまでにしておくかな」
 栞を挟んで、テーブルに本を置いたでるた先輩の指が、僕の頬に伸びる。
「えっ」
「──そして、次は、こんこん先輩を読むかな」
 彼の指が、僕の頬に触れる。
 僕の指が、彼の指をさわる。
「お前も、俺を読んでくれよ?」
 でるた先輩のお願いに、僕は、
「──でるた先輩の本は、きっと面白いんでしょうね」
 そう、軽い皮肉を返すしかできなかった。
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2011年05月18日

SS34

 今が幸せかって聞かれても、俺にはどうやって答えていいかはわからない。幸せと言えば幸せかもしれないし、そうじゃないと言えば、不幸せなんだろうなぁ、とか。その基準なんて、誰もが自分の中に勝手に持ってて、それを他の人がどうこう言う資格なんてないだろうし、俺だって、自分のそいつさえわからないっていうのに、誰かのそいつに口を出す気もない。
 だいたい、幸せってなんだよ?
 生きてれば、それで幸せなのか? 死んだら不幸せなのか? ただ、だらだらと腐ったように生きることが幸せだっていうんだったら、俺はきれいさっぱりと死にたいね。そう、首を吊ったって良い。そうだなぁ、NirvanaのLithiumとか聞きながらが良いかなぁ。あー、でも、首吊るなら、NirvanaよりもJoy DivisionとかNew Orderの方がいいかなぁ。やべぇ、なんかわくわくしてきたな。Joy Divisionだったら、Love Will Tear Us Apartとか良いんだけどなー、俺を取り合うような女なんていねーから、ちょっと寂しいよなぁ。New OrderのCeremony聞きながらきれいに逝くのもいいし、Let's Go聞きながらあの世に逝くのもいいよなぁ。あー、迷うね!
 今、こうしていろいろ考えてる時間のことを、幸せって言うのかもな。
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2011年03月27日

SS32

 その場所は、特別な場所だった。誰が言い始めたかは知らないけれど、その町に住んでいる人で、その場所を知らない人はいない──とは、言いたいけれど、もしかしたら、子どもは知らないかもしれない。あと、遠くの街から引っ越してきたような人も知らないかもしれない。それはつまりどういうことかって言うと、この町にひとつの高校に伝わる伝説みたいなもので、高校の裏山のてっぺんにある大きな岩のところには精霊? 妖精? が住んでいて、そこで告白をすると絶対にうまく行って、そして、二人は絶対に幸せになるっていう、いわゆる、学校の怪談というか、伝説というか、どこの学校にでもありそうな感じの、ありふれた伝説のある場所だった。──まぁ、裏山って言っても、山というよりは丘という方が正確なような、あんまり高いものじゃないけど。

「あー、今日もあそこで告白してる人いるよー」
 その学校の裏山を観察するとっておきのスポットが、うちの学校──この町でたったひとつの高校の屋上だったりするわけで。
「で、うまくいったっぽい?」
「うーん、あー、どうやっらおっけーみたいだよ?」
 屋上から、双眼鏡で愛を告白する風景を、意地悪くというか、趣味悪く眺めてるのが、俺と享奈の二人。
「ええと、今週に入って何組目?」
「──今日で三組目かな?」
 今日で三組というなら、今週だといったい何組になるんだろうか? 数学は苦手だし、よくわかんねーや。
「にしても、よく告白するカップルが鉢合わせしたりしないよなぁ。誰か、順番整理とかしてんのかな?」
「うん、あるみたいよ、それ」
「え、まじ?」
「まじまじ。なんでも、うちの生徒会の裏業務とからしいよー」
 へー、冗談半分だったのに、マジでそんなことやってる奴らがいるんだ。
「暇なんかなー」
「まぁ、こんなところで観察してるわたしらよりは忙しいんじゃないかな」
 うん、そりゃそうだ。

 屋上に吹く風が、享奈の髪をゆらす。空に溶けるような、淡い色。
「あれ、享奈、髪染めた?」
「うん。この前の日曜に」
 むー、この前の日曜ってことは、今週ももう木曜日だから、既にここで三日間も顔を合わせてたってことか……
「すまん。気がついてなかった」
「まぁ、わたしもそんな期待してないからねー。でも、普通、女の子が茶髪にしたりしてたら、すぐに気がつくもんだけどなぁ」
「そういうところに気がついてたら、今頃もっとモテてるって」
「あら、わかってるんじゃない。だったら、もっと努力しなきゃね」
「へっ。別にそんな努力したくねーし」
 と、強がってみるけど、
「そんな、『俺は硬派だぜ』的態度、今どき流行んないわよ?」
 享奈は冷たく一刀両断。
 俺は、ぐうの音もでない。
「──例えばね、誰かのことが気になって、その人のことばっかり考えるようになって、自分が硬派だとか、軟派だとか、そういうのがどうでも良くなって、あれ? 自分病気になった? って思っちゃったりするのが、『恋』ってことなんだと思うの」
「そりゃ、つまりは、今の俺には『恋』をするような資格はないっていうことか?」
「少なくても、わたしに対しては恋をしてない、ってことかしらね」
 そうなのか……むぅ。
「でもさ、恋とかって、よくわかんねーよな。
 だってさ、俺らがいっつも見てるあの裏山の上、あそこで告白してるような奴らってさ、きっと、別な場所で告白したって、きっとうまく行くんだぜ。別にあそこが『恋の特異点』って言うわけじゃなくてさ、『絶対にうまく行くような奴ら』があそこで告白するんだよ。だってさ、考えてみろよ。この町の若い奴──俺らみたいな高校生とか、中学生とか、一緒にあそこに行こうって言われたら、そりゃ、告白されるんだなってわかるじゃん。嫌だったら、そもそも一緒になんて行かないよ」
「それで、何を言いたいのかしら?」
 享奈が、俺の方を見る。
 双眼鏡越しじゃなく、彼女自身の瞳で。
 柔らかな茶色の髪が、太陽の光に溶けて、表情を柔らかく見せている。
「まぁ、ええとさ、享奈はさっき、俺に恋する資格ないって言ってたけど、恋ってさ、本当になんも見えなくなって、その人の髪型とか服装とか、もう、そんなんじゃなくて、その人がどんな表情だったか、とか、何を話したか、とか、それだけでいっぱいになったりもするんだぜ?」
 ええと、俺、何を言ってるんだろう?
「それで?」
「あー、だからさ。なんて言うかなぁ……」
 落ち着け、俺。
 ひと呼吸おく。
「あのさ、こっから見てるばっかじゃなくて、俺らもさ、あそこ、行かない?」
 俺は、真っ直ぐ裏山の上を指差す。
「──確かに、あんたの言う通りね。この状況は、既に告白されてるのも同じだわ……」
 彼女は、そう言って、はぁ、とため息ひとつ。
「や、やっぱりそうだよな……」
 ここまで言って、ただのピクニック! とかありえねーよな。
「それじゃあ、行きましょうか」
 とん、と彼女が歩き出す。
「え?」
「だって、行くんでしょ? そして、わたしに告白するんでしょ? ほら、早くしなさいよ!」
 彼女の後ろ姿に、彼女の言う通り、もっといろんな彼女のことに気がついたりしよう、そして、もっと、もっと享奈のことを好きになろう──今更なながら、そんなことを、胸の中で呟いてみた。

"Lover's attitude" is over.
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2010年09月17日

ss08

 ステンドグラスから、青く色づいた光が差している。
 外は、冷たい雨。いっそのこと、雪なってくれたのなら──と、ヒビナは祈らずにはいられなかった。寒さに震えるように、寂しさを抱き留めるように、ブレザーをかきあわせる。それでも、礼拝堂の冷たい床板は、彼女の身体だけでなく、心までも冷やしていった。
 雨音の向こうに、待ち人の足音を探す。
 秘密の、逢瀬。
 後悔はない。
 けれど、ヒビナは今でも迷っている。
 こうすることが、本当に私と彼女──スズツキのためになるのだろうか? 私たちは、幸せになれるのだろうか? と。
 しかし、ひとりではその問いに答えることはできない。
 なぜなら、問いは、ヒビナとスズツキのふたりに投げかけられたものだから。
 だから、答えを出すのもふたり。

 やがて、重たい木の扉が開かれ、雨音が礼拝堂の静寂を敲く。
「スズツキ……」
 振り返ったヒビナの目に飛び込んできたのは、冬だというのに、コートどころかブレザーも羽織らずに、きれいな長い髪を氷雨に濡らしたスズツキの姿だった。
「ねぇ、ヒビナ……」
 雨を引きずりながら、ゆっくりと前へと進む。
 扉の閉じた礼拝堂に、二人の少女が残された。
「濡れてるよ、スズツキ」
 手の届く距離に。
「うん。わかってる」
 けれど、触れられない。
「寒いでしょ?」
 触れてしまうと、そこで終わる気がした。
「ううん。大丈夫」
 だから、触れられない。
「嘘。そんなに震えてるのに」
 寒さだけじゃない。
「大丈夫、だから」
 濡れたブラウスに、透き通るような白い肌が透けている。
 礼拝堂に差す光は弱々しく、空気はだんだんと凍り付いていく。
 少女は、どうして良いのかわからない。
 目の前の少女を抱きしめて良いのか?
 目の前の少女に、全てを委ねても良いのか?
 ほんの少しの距離が遠い。
 二人の間を埋めるものは、何?
「私……」
 ゆっくりと手を伸ばすヒビナ。
 冷たくて、なめらかな頬。
「……いいの?」
 小さな声。
 それでも、心の底まで響くのは、礼拝堂の反響のせい? それとも、その言葉を待ち望んでいたから?
 問の答えを探すように。
 もう、二度と迷わないように。
 少しずつ、ゆっくりと二人の距離を縮める。
 濡れた身体を暖めるように、抱きしめる。
 そして、間近に濡れた瞳。
 吐息を、柔らかい頬に感じる。
 そして、彼女の唇と、彼女の唇の距離が零になったとき、二人の間に迷いはなく、哀れな子羊たちを、マリア様が慈しむように見つめていた。
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ss07

「遅いな……」
 裕一は、窓から冷たい雨の降る街を見下ろしながら呟いた。
 今日は、それほど遅くなることはないって言っていたのに。
 濡れる街は、彼の心の中までも、じっとりと湿らせていく。
 嫌な考えが浮かぶ。それを、振り払う。まるで、子犬がふるふると水をきるように。
 それでも、裕一は、不安を拭い去ることができない。
 指は、自然と啓一郎がよく座っているソファーを撫でていた。
 その上に座る者を求める。
 雨の街は、薄暗い。
 心に忍び寄る、闇。
 自分が、もう少し大人だったら、と思う。
 そうであれば、啓一郎の帰りが遅くなっても、これほどに不安に思うこともないだろうに。
 ──俺は、そういうお前の子どもっぽいところ好きだけどな。
 啓一郎は、よくそう言って、まるで子どもをあやすように裕一の頭を撫でる。
 その、細いけれど力強い指が、裕一は好きだった。

 がちゃ。
 玄関のドアが鳴る音。
「どうしたの? こんな遅く──」
 裕一は、それ以上続けられなかった。
「──遅くなった。すまない」
 答える啓一郎は、全身ずぶ濡れで、短く刈った髪からは、水が流れていた。
 白いシャツは、透けて、彼の鍛えられた身体に張り付いている。
 濡れるままに任せた、としか言えない。
 冷めていく啓一郎の体温とは裏腹に、裕一の心は、熱くなっていった。

 裕一は、何も事情を話そうとしない啓一郎を、とりあえず風呂にいれ、その間、啓一郎が好きでよく飲むコーヒーを淹れる。
 何があったの? それが聞けない。
 聞いたら、答えてくれるかもしれない。
 でも、それは僕が聞いていいことなの?
 自問自答を繰り返す。
 僕が子どもだから、決断ができないんだ。
 そう、自分を責める。
 外から聞こえる雨音が、彼の精神を責めていた。

 シャワーで身体を温めてきたあとでも、啓一郎は何も話そうとしなかった。
「ねぇ、コーヒーおいしい?」
「ああ」
「今日はね、ちょっといつもとブレンドを変えてみたんだけど、どうかな?」
「ああ、良いよ」
 言葉だけなら優しいかもしれない。
 けれど、啓一郎の顔は伏せられたままで、白いマグカップの中身は、ほんの少し口を付けられただけで、冷めるのを待っていた。

 雨音のノイズ。
 心音のスタッカート。
 浮かんでは、消える言葉。
 形にならない。
 それでも、形にしようとするのはなぜなのだろうか?
 言葉が、繋ぎ止めるから?

「──あの、さ」
 裕一が、すっと啓一郎の隣に座る。
「何?」
 啓一郎は、やはり、顔を伏せたまま。
「僕じゃ、ダメなのかな?」
 無理に、その顔をのぞき込まないように。視線を交えるのが怖いから。
「何が、だ?」
 ゆっくりと、裕一を見る。
 啓一郎が目にした、虚空を見つめるその横顔は、どこか思い詰めたような、そして、何かを決意したような、そんな不思議な表情だった。
「僕じゃ、啓一郎の力になれないのかな?」
 裕一も、顔を啓一郎の方に向ける。
 二人の視線が、絡み合う。
 互いに、見つめる。相手の真意をはかるように。
「そんなこと──お前こそ、俺のことなんて……」
「違うっ!」
 裕一の大きな声に、啓一郎がびくりとする。
「違うよ? 僕は、啓一郎のためになりたいんだよ?」
 ゆるゆると、裕一の小さな手が、啓一郎の頬に伸びる。
「僕は、啓一郎のためなら……」
 その、小さな手に、啓一郎の指が添えられる。
「俺こそ、お前がいないとダメだ……」
 流れる涙。

 冷たい雨は、降り止もうとはしていなかった。
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2010年07月24日

夏の暑さと猫の哲学戦争

「こんなに暑いと、猫だってだれちゃうわね」
「いやいや、猫だからだれてるんじゃね? だって、あいつらいつだってだれてるよ?」
「わかってないわね。猫はいつでもだれてるように見えるけど、あれは頭の中でいくつもの哲学世界をシミュレートして、この世界を滅亡の危機から救ってるのよ」
「おいおい、たかだか猫だろ? 奴らがそんなに高等な存在なのかよ?」
「もう、ほんとなんだからね!」

 東京が観測史上類を見ない猛暑に襲われた夏の日。
 猫による思索防御壁が無効化された第三次元世界は、第七都市世界からの思念波攻撃により滅亡した。後に、猛暑も彼ら、第七都市世界の攻撃であったことが明らかになるが、第三次元世界が再び繁栄を取り戻すには、犬と猫による独立共闘戦線の蜂起を待つしかなかった。
posted by 言人 at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

愛とか明日とかそういうもの

「愛してる?」
 こんな言葉に意味なんてないことはわかってるはずなのに、それでも訊かずにはいられない。だって、わたしはあなたの愛を求めてるし、あなたが見せてくれる明日に希望を持ってるし、あなたと一緒に未来に待つ何かを探し求めていたいと思ってるんだから。
 でも、あなたの答えは、いっつも冷たい。
「うん、愛してる」
 その言葉の向こうには、わたしが求める明日も、希望も見えない。
 ねぇ、わたしを愛してるの?
 本当に愛してるの?
 愛しているなら、もっと、抱きしめて。
 もっと、ささやいて。
 ねぇ、見せてよ。
 もっと、あなたを。
 あなたが拓く明日を!
 そう思いながらも、わたしは今日も彼に問いかける。
「ねぇ、わたしのこと愛してる?」
 画面の中で微笑む彼に向かって。
posted by 言人 at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月23日

ss24

 高校生の頃、大人になればこんなふうに恋とかで悩むことなんてなくなるって思ってた。でも、あれから十年くらいたって、あの頃のわたしが考えていた大人の年齢になっても、まだ変わらずに恋で悩んでいた。
 というよりも、あの頃からずっと悩みっぱなしな気がしている。
 本当の恋って? 本当の愛って?
 そんな問いに答えるほどの経験はしてないかもしれないけど、わたしにとっては十分すぎるくらいの出来事はあったんじゃないかって思う。──ドラマみたいに恋をしたい、なんて考えたこともあったけど、そんなの、あたしには役者不足。もっと、平凡でもそこらへんにありふれているような恋愛でいい。どこにでも転がっていたとしても、それはわたしには特別になるはずなんだから。そう思えるくらいには「大人」になったつもりなんだけど。
「はぁ……」
 でも、休みの日の午後、カフェで一人でいると寂しさがこみ上げてくる。
 映画みたいな出会いを求めてるわけじゃないけど、なんか、寂しくない?
 気がついたら、手元のラテも冷めている。まるで、今のわたしの気持ちみたいに。
 読んでいた流行りの小説を閉じて、残っていたラテを飲み干す。さて、あとは部屋に帰って、掃除とか洗濯とかしようかな……
 そう考えると、また寂しくなってくる。
 だって、休みなのにデートの予定もなくて、考えることと言えば、家事のことだなんて。
 確かに、生活していくってこういうことなのかもしれないけど、何ていうか、これでいいのかな? という疑問はおさえられない。
 はぁ、せっかく外に出たし、天気も良いし、ちょっと遠回りして本屋さんにでも寄って行こうかしら。──ちょうど、今の本も読み終わりそうだし。

 川沿いの道は、もうそろそろ桜の季節。あと一週間もすれば、ピンクの花びらが水面に映ってとってもきれいになる。犬を散歩させてる人とすれ違ったりして、長閑だなぁ、なんて思いながら、間もなく訪れるだろう春の気配を思う。
 ──季節は春になるのに、わたしの春はいつ訪れるんだろうか?
 髪をくすぐる風にも春の匂い。
 暖かく、包み込むような太陽。
 こんな時、隣に誰かいてくれたら、って思ってしまう。
 ああ、もう! どうして今日はこんなことばっかり考えてしまうんだろう? 読んでる本が、恋愛ものだからかな?
 ついでだし、お気に入りの店でケーキでも買って帰ろうと決意する。
 としたところで、目的の書店に到着。
 雑誌コーナーを横目に見ながら文庫のコーナーに真っ直ぐと向かう。
「うーん、どうしようかな……」
 今の気分は恋愛ものじゃないな。もう、思いっきり重たいミステリとか読んじゃおう。と考えて、バリバリの本格ミステリを物色する。足は、いつの間にかハヤカワ文庫とか東京創元社文庫が並んでいるところに向いている。
「あ、この作家新しいの出てたんだ……」
 うーん、一度ハードカバーで読んだけど、また読んじゃえ。
 そう思って伸ばした指に、ぶつかる指があった。
「あ」
 声が重なる。
「す、すいません」
 声の主は、男の人だった。わたしよりもちょっとくらい年上だろうか? こざっぱりとした格好をしている。
「ええと、こちらこそ……」
 なんだろうか。こんなシーン、古い映画とか、子供っぽい少女マンガで読んだ覚えが……
「はい」
 と、その男の人が、わたしが──そして、その人が取ろうとしていた本を差し出す。
「え、あ、あの」
「この本、取ろうとしてたんですよね? 僕、ハードカバーで読んでるんで、譲りますよ」
 そう言って、ぎこちない笑みを浮かべてる。
 その表情にわたしは思わず吹き出してしまう。
「え、どうしたんですか?」
 彼は困惑した様子。
「だって、わたしもその本ハードカバーで読んでるんですもん」
「あぁ、そうなんですか」
 そして、彼も笑う。
 その顔が、なぜか気持ちいいと思ったから、
「あの、この作者、好きなんですか?」
 思い切って、そう言った。
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2009年11月12日

light weight text 021

 遠い宇宙<そら>から、ハロー、ハロー。
 わたしの声、聞こえてる?
 あなたの声、聞こえてるよ。
 身体はボロボロだし、
 前のことは覚えてないけど、
 そこにあなたがいるのはわかるの。
 だから、待ってて欲しいの。
 もうすぐ、星の欠片、持って帰るから。
 ハロー、ハロー。
 もうすぐ、もうすぐだからね。


小惑星探査機「はやぶさ」のイオンエンジン異常について
posted by 言人 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月26日

ss22

 あなたに手紙を送るのははじめてですね。いつも、伝えたいことはあったのに、こうして紙にあなたへの気持ちを書いていると、私が本当に伝えたかったことは一体なんだったんだろう、と考えてしまいます。紙という場所に、自分の思いを形にすることがこんなにも難しかったなんて! あぁ、本当にすいません。支離滅裂な文章になってしまいましたね。
 でも、私とあなたの関係というのも、元々良くわからない、曖昧としたものでした。
 私がはじめてあなたに会ったとき、あなたの隣には兄の姿がありました。
 私はあなたしか見えていなかったのに、あなたは兄しか見ていなかった。
 そして、それから数ヶ月後のあなたと兄の結婚式。親族一同の席に座らされたわたしのみじめな気持ちは、あなたには理解されることはないでしょう。あの日ほど、兄に嫉妬したことはありませんでした。
 けれど、あの頃はまだそれだけでした。
 まだ、兄はあなたを大切にしていたし、あなたも兄を愛していた。
 それが、変わってしまったのは、いつの頃からだったでしょうか?
 遠い街から帰ったときに、あなたの表情に暗い影がさすようになったのは。
 私なんかとは違い、社交的で友人も多い兄でしたが、それがあなたを悲しませるようなことになるなんて。あの、結婚式のときには、純雪のようなドレスに包まれていた笑顔が、そぼ降る雨のように悲しい色に染まってしまっていました。
 兄を問いつめても、軽くあしらわれるだけでした。
 思えば、あのとき、既に、私とあなた、そして兄の運命は交差して、遠くに過ぎ去っていたのかもしれません。
 遠いあなたを幸せにするために、私はどうするべきか? 延々と考えました。
 そして、出した結論が、あれでした。
 あの日、あの場所、あの交差点。
 久しぶりにあなたと兄と、私の三人で飲んだ帰り、ここしかない、と思いました。
 意を決っして、兄の背中に手を伸ばしました。
 私よりも少しだけ大きな、兄の背中。
 そこに伸びる私の腕。
 けれど、そのとき私の視界に入ったのは、それだけではありませんでした。
 無骨な私の腕と交差する、細く、白い腕。
 はっとして顔をあげると、同じように驚いた表情のあなたが私を見つめていました。
 どん、と兄をはねとばす自動車の音が遠くに響いていましたが、私にはあなたが耳元で呟いた言葉のほうが、はっきりと聞こえていました。
 今も、あのときの言葉が脳の奥から離れようとしません。
「あなたも、わたしと同じ?」
 この一言が……
 私も、あなたが好きです。
posted by 言人 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月21日

ss21

朝、始業前の八時四十分には事務所に着き、途中コンビニで買ったパンを缶コーヒーで流しこむ。自席のコンピュータの電源を入れ、起動するのを待つ間、喫煙室でタバコを吸う。席に戻り、メールチェックとスケジュールの確認をすませる。今日は、午前中にミーティングで、午後から実作業。最近、疲れているのを自覚しているので、少し憂鬱になる。しかし、今の世情で仕事があるだけで満足するべきか。午前のミーティングは、現在参画しているプロジェクトの社内ミーティング。それぞれが受け持っているタスクの状況、課題、これからの作業をたんたんと整理していく。昼食は同僚と近所の居酒屋の昼定食。変わり映えしない毎日の中で、食事が楽しみになっている。食後、午後の始業時間までは、ネットでニュースを眺める。どこも景気の良い話はない。十三時になり、午後の業務が始まる。さて、とロッカーからタクティカルベストを引っぱり出して着こむ。ポケットには弾倉を詰め、腰にはホルスター──ベレッタのM92。そして、準備を整えたところで、最後に手にするのは、H&KのG36。良く言えば信頼性重視、悪く言えば保守的。特にこだわりなどもなく、単に会社支給のものを使っているのにすぎない。地下鉄に乗って、今日の戦場まで行く。メンバは、自分と後輩、そして、主任。親会社の課長もいる。着くと、すでに戦闘がはじまっていた。まずは、友軍と接触し状況を把握する。どうやら、敵は東側を抜けようとしているらしい。友軍はそちらに戦力を集中しているが、あとから到着した私達は、伏兵に備えて西側に向かうことにする。目標地点のビルへもう少しというところで、敵と接触した。NATO弾を撃ちこむ。隣では、親会社の課長が無線で友軍に敵軍接触を伝えている。銃弾がちりちりと響く。足止めされた状況を打開しようと、主任がビルの裏手から回りこむ。それを援護する自分と後輩。親会社の課長は、後ろから顔だけ覗かせて、弾を使い過ぎるな、とか言ってる。コスト削減は重要だが、必要なものは存分に使わせて欲しいと思う。やがて、主任の奇襲も成功し、あとから友軍も合流したおかげで、今日の作業は問題なく完了した。そういえば、途中から静かになったな、と振り返ってみると、親会社の課長は、下手な敵に狙撃でもされたのか、大量の血を流しながらも、死にきれないでいた。私は、ベレッタを抜き、彼の頭にパラベラム弾を撃ちこんだ。
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2009年01月04日

ss20

 こうして彼と会うのは何回目だろうか?
 一ヶ月に一回くらいの割合で、一緒に食事をしてお酒を飲む。食事中は、楽しく話ができる。アルコールの力? ううん。酔ってるせいじゃない。少なくとも、私は正気。それはきっと彼も同じ。
 でも、彼が好きかって言うと、それはちょっと自信がない。
 本当に彼のことが好きなら、もっと自分からアピールしてる。
 でも、それができない。
 今の、ぬるま湯みたいな関係が心地良いのかもしれない。
 だから、前にも進めないし、後戻りもできない。
 いつの間にか、恋に不器用になってしまったみたい。
 昔は──十代の頃は、もっと簡単に恋をして、もっと簡単に好きと言えていたはずなのに。
 あの頃よりも、臆病になった? 大人になったはずなのに、子どものころよりも、自分のことがわからない。
 そう思いながらも、そこそこにきれいな服を着る。春らしく、淡い色のワンピース。夜はまだ少し寒いから、軽めのトップスをあわせる。念入りに髪をセットしていたら、いつの間にか電車の時間が近づいている。
 最後に鏡を見る。
 うん。私、大丈夫。
 十人が振り返るっていう美人じゃないかもしれないけど、彼に好きって言われるかも、って考えても良いと思う。
 今日、彼に会ったらなんて言おうか?
 彼は、なんて言ってくれるだろうか?
 ドキドキしながら家を出る。
 この気持ち、十代のあの頃よりもときめいてる。
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2008年05月29日

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 夜、雨上がりの不穏な夜空。
 月は厚い雲の向こう、今、どんな顔をしているのだろうか?
 泣いている?
 それとも?
 僕は、ただふらふらと、冷たい湿った空気の中を、歩くだけ。
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2008年03月02日

若き弟の悩み

 大学生活をはじめて数年。人ごみにも慣れ、東京という場所にいることについて、何の感慨も抱かなり、大学だとか、行きつけの飲み屋とか、それなりに自分の居場所というやつを持ったりして、すっかり都会での生活にまみれてしまったけれど、未だに慣れないこともある。
 大学のキャンパスの喧噪が、安いスチールドアの向こうに聞こえる。狭いサークルの部室は、僕が吐き出した紫煙で充満していた。箱の中を半分近く灰にしても、全くいい考えは浮かばず、待ちに待った新刊ミステリも、全く頭に入ってこない。
 仕方ないので、書店の栞を挟んで、ごちゃごちゃしたテーブルに、ひとつオブジェを加えてみる。
 そして、もう一本タバコ。
「もー、センパイ、またさぼって『緩慢な自殺』ですか?」
 と、ドアを開け放った瞬間に大きな声を出し、僕の孤独な空間に亀裂を入れたのは、二年後輩の女の子だった。
「あー、残念ながら、まだ生きてるけど」
 小煩い換気扇にあらがうように、言葉と煙を吐き出す。
「ややっ、それは有栖野センセイの新刊じゃないですか! 待望の新作はどうだったですか? やっぱり、往年の切れはなかったですか? それとも、完全復活ですか?」
 放り投げた本を目敏く見つける。
「わからん」
「わからんって、そんな、センパイにも判断が付けられないような問題作?」
「そんなわけじゃなくて、まだ事件も起きてないし」
 正確に言うと、ストーリー的に事件は起きているが、ミステリ的な殺人事件は起きていないという意味だ。
「嘘だっ! センパイがまだ読んでない本を放置プレイにしてるなんて、あり得ない! しかも、有栖野センセイの新刊を!」
 びしっ、という効果音でもつけてやりたくなような、見事なポーズ。
「残念だったな。これが全然あり得る。というより、今まさにその状態。まだまだ名探偵にはほど遠いな」
 と、名探偵に憧れて、自らも名探偵を目指し、ミステリ研に入部するという今時珍しいくらいに間違っている彼女をからかってみる。
「むむむ。やはり、名探偵の道は一日にしてならずですか」
 そう言いながら、隅っこに座り、何事かを思案する顔。
「じゃあ、一体何を悩んでいるんですか?」
 しかし、こんなふうに唐突に言い始めるあたりが、名探偵の資質あり、か。
「いや、別に、悩んでるわけじゃないし」
「そんな嘘、このワタシには通じないですよ! センパイが何よりも好物のミステリを読めないほどの状況なんて、何かに悩んでるくらいしか思いつかないですよ!」
「うーん。そんなことはないんじゃないか? 突然目が見えなくなって、読みたくても読めないとか、そういうこともあり得る。早計に結論を出してはいけない」
「ははは、そんな嘘はワタシには通じんよ! というより、そんな言い訳を始めるあたり、図星じゃないですか?」
 じりじりとにじり寄ってくる。
「だから、なんでそう言える?」
 との問いに、自信満々でこう答えた。
「それは、名探偵の直感です!」
 ──やはり、僕には名探偵と女の考えはわからない。そう悟った。

「だったら、一体何に悩んでいるか当ててみろよ」
 どうせ本も読めないような状態なんだから、後輩で遊んでみるのも一興。
「そうですねー。一般的に大学生の悩みと言えば、男女関係とか、学校の成績とかが一般的ですよねー。あと、哲学的な悩み──自分のアイデンティティとかそういうのもありますねー。で、センパイの場合は、まず学校の成績は除外できるっと」
 指をぴこっと折る。
「どうしてそう言える?」
 ミステリ研らしく、論理的な説明を求める。
「そんなの簡単ですよ。センパイが成績のことで悩むような人なら、ずっと前に悩みまくって若きウェルテルですよ。緩慢な方法じゃなくて、もっとはっきりくっきりすぱっと自殺ってるんじゃないですか?」
 確かに、反論できない事実だが、二年前の僕よりも低空飛行の彼女には言われたくない。
「ま、まぁ、そこは認めてやるか」
「いやいや、ワタシも、センパイという人がいて、ずいぶん勇気づけられてますよ。こんなにダメでも大学にいていいんだって」
 いや、それ、フォローになってねーし。
「哲学的な悩みというのもないんじゃないですかねー。確かに、自殺した作家の小説とか自殺したアーティストの音楽とか、そういうのは大好物みたいですけどー。というより、いっつも思ってるんですけど、かなり趣味悪いっすよー」
「何っ! 貴様っ! カート・コバーンを侮辱するかっ!」
「そんなつもりはないっていうか、誰ですか、それ?」
 ……最近の若者は、ニルヴァーナも聞かないらしい。
「と、話を戻すと、そんな方向に悩むような人なら、とっくにメンタルってるはずだから、これも違う、と」
 さくっと話を流される。
「説教したいことは山ほどあるが、じゃあ、いったい何が原因で悩んでるって言うんだ?」
 ここは、ぐっと我慢するのが大人。
「ふふふ。残される可能性はひとつ! ずばり、男女関係ですね!? いったい、どこの誰に一目惚れしたんですか? あ、もしかして、ワタシ? あ、あの、何ていうか、ワタシ、センパイになら……」
「いや、それはないから安心しろ」
「ひどっ! 安心しろと言いながら、全く安心できないし、ぐさっと胸に突き刺さる一言っ! この、鬼畜がっ」
 彼女の言葉も十分にひどいと思うが。
「──言いたいことは、それだけか?」
「あ、すいません、ちょっとはしゃぎすぎたですよ。でも、センパイが悩んでるなんて、ちょっと珍しくて、つい……」
 そう言いながら、ぺろっと舌を出す。
「でも、ちょっとだけ本気ですからね」
「そういうのは、もっと雰囲気を作ってから言う方が効果的だぞ」
「って、ここは、聞こえていたとしても、わざと聞こえないフリをして、『何か言ったか?』『い、いえ、なんでもないです』って、お約束青春ドラマを演じてみるところじゃないですか!」
 残念ながら、トレンディドラマの役者でもないんで、そういうのはお断りだ。

「それにしても、ほんとに何なんですか? 待ちに待った新刊、ダメだった場合が怖くて読めないとか?」
 うーん。さすがに、これ以上引っ張るようなネタでもないし、こんな後輩でも一応は女、もしかすると、いい解決策を出してくれるかもしれない。
「いや、実は、もう三月だろ」
「そうですねー。せっかくの春休みなのに、無駄に過ごしてますよねー」
「で、三月には、ホワイトデーがあるだろ」
「うわー、ワタシの発言は、右から左に受け流しますかー。って、ホワイトデーって、何ですか!」
「ホワイトデーはホワイトデー。お菓子メーカーの販促戦略」
「いや、いくらワタシだってそれくらい知ってますよ! と言うより、ミステリ研で配ったバレンタインのお返しに何をもらえるか、今からドキドキですよ! ……もしかして、ワタシへのお返しを何にするか迷ってるんですか? それなら、ワタシ、センパイからの愛がもらえれば……」
「一般的な女の人って、どんなお返しがいいのかな?」
 後半は聞かなかったことにして訊いてみる。
「だから、ワタシはセンパイの──」
「お前じゃなくて、普通の人の場合を訊いている」
「うう、センパイのいぢわる……。
 でも、ということは、誰かにお返しするんですよね? ということは、誰からかバレンタインのプレゼントもらったってことですよね? 誰ですか? サークルの人? 学部の人? それともそれとも……」
 こいつも、やはり女の子。いわゆる色恋の話には飛びついてくる。
「そんな詮索はいいじゃないか。それよりも、どういうのがいいんだ?」
 しかし、それにつきあってやる義理はない。
「でも、相手がどういう人かわかんないと、やっぱり考えられないですよ? ワタシは、メリヴェール卿じゃないんですから」
 巨漢の名探偵が、女心に聡かったかどうかは疑問だが。
「しかしなぁ」
「別に、変な詮索しようっていう訳じゃないですよ。ただ、一般的な女の人っていっても、女子高生とOLじゃ、欲しいものが違うじゃないですか?」
 まぁ、確かに彼女の言うことにも一理ある。
「そうだなぁ……相手は、三歳年上で……」
 仕方なしに、話し始めるが……
「うおっ、いきなりの年上好き告白ですか! ワタシの方を向いてくれないのは、それが原因ですか!」
「……やっぱり、いいや」
「いや、すいません。黙って聞きます」
 ちょっと反省してるような表情。
 誰かの知恵を拝借したいのはやまやまなので、許してやることにする。
「まぁ、それで、一応働いている人で、バレンタインのプレゼントもらったんだが、それが、意外に高いもので、一体何を返していいのか悩んでる」
「うーん。それだけじゃあ、全然わかんないですよ。相手の人が、一体どういうのが好きなのか? とか、そう言うのがわかんないと、効果的な対策もたてられないですよ」
「何が好きか、かぁ。そうだなぁ。改めて考えてみると、なかなか思い浮かばないなぁ」
「それじゃあ、何をもらったんですか? プレゼントって、相手の好きなものっていうのもあるけど、自分の好みとか結構出るもんですよ」
 おお。それはいい考えだ。
「ああ。もらったのはこれ」
 そう言って、首からチョーカーを外して彼女に見せる。
 小さなシルバーのプレートがついた、シンプルなやつ。普段、アクセサリをつけない僕でも、それほど気にせずつけられるようなやつだった。
「うおー、ちゃんと普段からつけてますか! もう、ラブラブじゃないですか! って、すいません。それにしても、こういうのですかー。ふーん」
 普段からつけているのは、つけていないと怒られるからで、それを言うと、また彼女がヒートアップしそうなので黙っておく。
「で、どうだ?」
「そうですねー。アクセをもらったんなら、普通にアクセでいいんじゃないですか? ピアスとかリングとか。無難ですよ」
「そんなもんかぁ……。じゃあ、今週末でも買いに行くかなぁ」
「じゃあ、そのときはワタシも一緒に……」
「それは却下だ」
「ひどっ。せっかく相談に乗ってあげたのに! そこから始まる恋があってもいいんじゃないですか! って、そっか、もうセンパイはそのOLさんのものなのね……」
 よよよと泣き崩れる。
「いや、なんか誤解してるみたいなんで、言っておくけど、別に、恋人とかじゃないぞ」
 この状況を放置すると、次の日には、OLと恋に落ちている自分が、知らぬ間にキャンパスを一人歩きしている。
「え、じゃあ、一体どんな関係の人なんですか?」
「姉ちゃん」
「え?」
「だから、姉ちゃん。姉。女の兄弟」
 まったく、働き始めてお金に余裕ができたからなのか、いきなりアクセサリーとか、お返しに困るようなものを──
「……っ」
 と、彼女の様子が少しおかしい。いや、おかしいのはいつものことだけど、そう言うのとはちょっと違う。
「おい、どうした? 何か変なものでも食べたか?」
 先輩として、こういうときはしっかりしないと。
「って、違うわー! このブラコンシスコンがーっ! 紛らわしいわーっ!」

 そんなわけで、結局次の日には、姉とラブラブな僕がキャンパスを闊歩し、三月十四日には、姉がピンクシルバーのリングを左の薬指にはめようとするのを全力を持って阻止しなきゃいけない状況になったりしたが、がんばれ、僕。

"White day panic!" is over.
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2008年01月20日

ss16

 こうなってしまった経緯は、もういらない。
 ただ存在するのは、相手と自分が対峙しているという事実のみ。
 それ以上に必要な情報など今は必要なく、わたしが下すべき決断は、単純に彼女を亡き者にするということのみ。そして、その決断は既になされている。いや、この場に立つ前に、それは既に済ませてきた。彼女とて、同じだろう。
 今、この場に立っているということは、互いに殺しあうということに他ならないのだから。
「もう、覚悟はできた?」
 彼女の声が、高い天井に響く。
 幼い頃から聞き慣れた声。わたしの好きな声。
「ええ。あなたを殺す覚悟なら、もうずっと前にできている」
 なぜ、殺しあうことになったのか。
 運命とは、かくも残酷なものなのか?
 有史以来、賢者が何度も繰り返してきた台詞。
「そう。それじゃあ、今から私に斬られるという覚悟はできていないと言うの?」
 きれいな顔が、歓喜に歪む。
 常にそばにいながらも、届くことはなかった笑顔。
 十代の少女にしか見えない肢体には、古の武人すら凌駕する力と、人類科学の粋を集めた剣技が隠されているのを知っている。
「お嬢様こそ、わたしに殺される準備はできましたか?」
 負けずに言い返し、白いワンピースに包まれた彼女を切り裂く自分の刀を夢想する。奥底から沸き上がる言いようのない高揚感。
「ふん。高々使用人風情が、私を傷つけられるとでも思っているの?」
 嘲り。
 これが、彼女の深層に眠っていた心理だったというのか?
 幼き頃から十年以上ともに過ごし、かよいあっていたと思っていたのは、自分だけだったのだろうか?
 そう思うと、やりきれない。
 だからこそ──自分が、終わらせなければならない。
 想うが故に、殺す。
 他の者になど、彼女を傷つけさせない。
 彼女を傷つけられるのは、彼女を切り刻めるのは、彼女を撃ち抜けるのは、彼女を殺せるのは自分だけだ。
「わたしは、そのように作られていますから」
 彼女とは対照的な黒衣。わたしの腰には一振りの刀。足下まで覆い隠す長いスカートの中には、何挺かの拳銃。
「へぇ。大人しい顔してると思ったら、そんなこと仕込まれてたんだ。やっぱりみんな、私がいつかはこうなるって知ってたんだ」
 無邪気に笑いながら、手に持った刀についた血を拭う。
 もう、何人の血があの鋼に吸い込まれていったのだろうか? 官能的にすら映る濡れた刀身。
「このような結果になってしまって、非常に残念です」
 左手を鞘に添える。
「嘘ばっかり。本当は私に殺されることを喜んでいるくせにっ。あはっ、私、あなたがそういうの好きだって知ってるんだから」
 殺される?
 いや、それはない。
 わたしは、自分が勝つことを疑ってはない。
 戦場に立つとき、己が負ける姿を想像している者はいない。
 脳裏に浮かべるのは、相手を斬り伏せ、生き残っている自分の姿だけだ。
 わたしは、彼女を殺す。
「──もうそろそろお時間です。始めましょうか、お嬢様」
 これ以上、時間はない。
 あと数刻すると、近衛兵団が到着してしまう。いくら出遅れたとはいえ、彼らもそれなりに無能ではない。そして、どれだけ彼女が万夫不当と言えども、一騎当千の近衛兵団一個中隊相手では、生き残ることはできない。
 彼女を殺すのは自分だ。
 今決まっているのはそれだけ。
 他の何者にも殺させない。
 もし運命というものがあるのなら、それは、今ここで彼女と闘うことではなく、わたしがこれから彼女を殺すことを指すのだろう。
「うん。いいよ」
 血刀をぶら下げ、彼女が歩み寄る。
 あまりにも不用意な、そして隙がない。
 これが、呼吸するように人を殺せるようにまで創り上げられた殺人技術を体得した者の動きか?
 しかし、彼女がそうであるように、わたしもそれを止めるべく作り上げられた存在。
 彼女が何者をも切り伏せるというのなら、わたしはその刀を打ち砕く。
 腕と一体となり跳ね上がる斬戟。
 わたしの右手は動かず、身体をさばくだけ。
 間髪入れず、横に薙ぐ剣風。
 後ろに下がりやり過ごす。
 追うように突きが放たれる。
 回り込もうとしたところには、既に刃が待っている。
 逃げようのない、刀筋。
 段々とスピードのあがる攻撃。
 流れるような銀色に、いつしか赤い糸がまとわりつく。
 それは、わたしの血。
 彼女と、わたしを繋いでいる、細い糸。
 陽炎のような、白日夢のような。
 断ち切らなければいけないのは、彼女の命ではなく、わたしと、彼女を繋ぐ、この細く美しい糸だった。
 右手が柄を握る。
 一閃。鞘走。
 光速で奔った刃を、彼女は引いて避ける。
 一筋、伸びる赤糸。
 わたしの刀が、その糸をとらえ、そして切断する。
 彼女と、わたしの間にあった糸が、絆が、切れる。
「あぁ、やっと抜いたわね」
 無垢な笑み。
「──抜かなければ、あなたを斬ることはできませんから」
 今、わたしはどのような表情をしているのだろうか?
 歓喜?
 悲しみ?
 もう、表情など、感情など無意味だ。
 これから先待ち受けるのは、彼女を殺すという事実のみ。
「それじゃあ、もう少し踊る?」
 社交界の華とも謳われた彼女が、舞うようにして奔りかかる。手には、可憐な花ではなく、冷たい銀の閃光。
 戦慄とともに襲いくる刃に、刀を合わせる。
 奏でられるは、鋼鉄のワルツ。
 鋼と鋼が歌う。
 完璧なるステップ。
 望むべくもなかった、二人のダンス。
 わたしは、歓喜に身を震わせる。
 徐々に早くなる、鼓動とテンポ。
 ──ついて来られる?
 そんな無言の問いに、行動で返答する。
 輪舞する刀筋。
 終わることない円環。
 絡み付くようにして高みに上る二重螺旋。
 人間としての根源が、今、この瞬間を望んでいた。
 互いの衣服は切り刻まれ、白い肌があらわになっている。
 返り血で、白磁の頬が赤く染まっている。
 深紅のワンピースと、漆黒のドレス。
 尽きるのは、どちらが先なのか?
 もし、この場を眺める者がいるのなら、この光景をなんと表現しただろうか?
 想像すべくもない。
 天使に悪魔が戦いを挑んでいる。
 純粋無垢なる天使が、暗黒の悪魔に聖なる一撃を加えようとする。
 振り下ろされる聖剣。
 それは、神なる存在が撃ち落とす鉄槌か。
 悪魔の刀は、神聖な力を受け止めることなく両断される。
 今まで、何合も打ち合ったことなど、まるで夢であったかのように。
 天使の顔が、哀れみの笑顔に染まる。
 そこに、ほんの一瞬の逡巡が生まれたことを悪魔は見逃さない。
 悪魔の右手は、既に半分の刀を握ってはいない。
 代わりにその手の中にあるのは、黒い鉄のかたまり。
 刀のような優雅さもない。
 あるのは、単純に人を殺す機構のみ。
 それ──拳銃が弾丸を放つ。
 初速そのままに、天使を穿つ。
 天使の刃が止まる。
「こんなっ!」
 いや、刀は止まらず、悪魔に追いすがる。
 悪魔──わたしは、どこまでも冷静だった。
 左手が、もう一挺の拳銃を掴んでいる。
 引き金を引くたびに、激鉄が銃弾を叩き、銃身を加熱させながら鉛弾が旋回し、空気中に硝煙の香りと破裂音を響かせ、天使──彼女の肢体に赤い花を咲かせる。
 天上の音楽の終わりは、地べたを這いつくばる悪魔の囁きが終わらせる。
 連続する銃声。
 止まることない、暴力の道化<violent swindle>。
 右手に握った銃のスライドがオープン。
 続いて、左手の銃も弾が切れる。
 立っているのは、わたしだけ。
 彼女は、ひび割れたアスファルトに赤い水たまりを作っていた。
「あれ? 私──」
 茫洋とした視線は、わたしをとらえているのか?
「終わりです」
 足首からリボルバーを取り出す。
 激鉄を起こす。
 六分の一廻る。
 それが、最後の回転。
 そして、最後の銃声が、天使を蒼空から撃ち堕とした。
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2007年12月09日

ss14

#ss14

 師走。故郷では、もう十分な量の雪が降っているだろうが、遠いこの街では、まだひとかけらの雪も見てはいない。まさか、二年も続けて全く降らないと言うことはないだろうが、近年の異常気象では、この雪が降らないというのが当然のこととなってしまってもおかしくはないだろう。
 しかし、そんな地球人類の問題の前に、僕には自分自身の問題が大きく立ちふさがっていた。いや、この季節にひとりでいると言うことは、僕にとっては格別めずらしいことではないし、今更どうこういうほどのものではない。とは言っても、それが今の状況に無関係かと言うと、そういうわけではなく、むしろ、大いに関係があると言ったほうが良いだろう。つまり、どういうことかというと、今の僕は、今年のクリスマスを意中の人と過ごすべく、思い切って告白してみたが、残念ながらふられたあとであり、こうしてひとり午後のコーヒーショップで寂しくブレンドをすすりながら、孤独を噛み締めているところなのだ。
 僕だって、木石ではないので、それなりに恋だってしてきているし、好きになれば必ず結ばれると言う訳でもないのを知っている。現実はハッピーエンドが待っている安いドラマじゃないし、予定調和ばかりの三文小説でもなければ、答えのわかりきったゲームでもない。いくら経験しても、決して慣れることのない痛みだらけだ。痛みは、こうしている間にも僕を苛む。友人たちと夜通し酒を飲んでも、笑いながらゲームに興じても、ふとした瞬間に、僕は自分にできた傷の大きさに気がついてしまう。誰かに話せば? それだけのことで傷が癒えると言うのなら、僕はふられたその日のうちに元通りになっていただろう。
 往生際の悪いことに、僕は彼女のことを今でも好きだった。さっさと次の恋を探せば良いのだろうが、あいにく僕はそれほど器用な人間じゃない。どちらかと言うと、不器用なほうだと言っても差し支えない。こうしている間にも、頭の中には彼女のことばかりが浮かんでくる。吐き出すタバコの煙と一緒に、彼女の記憶も空気に解けていけば良いのに、と思うが、それは脳裏に深く刻み込まれていて、何本のニコチンを摂取しようとも、いつまでも残り続けている。
 こんな状態なのだから、まともに文章など書けるはずもなく、目の前に広げたMacのテキストエディタには、まだ1バイトの文字も書かれてはおらず、来週に迫ったサークルの会誌の原稿は絶望的な状況と言っても良かった。
 今から原稿を集めて、クリスマス前にはオンラインで後悔。テーマは「クリスマス」。どうして僕は、そんな企画に賛成してしまったのだろうか? 聴いていれば、何かのインスピレーションを得られるかも、と聴いていたビートルズが「愛は買えないんだぜ?」と分かりきった口をきいている。そんなの知ってるさ。だって、僕はそいつを失ったばかりなんだから。いくら「愛してよ!」「君と手をつなぎたいんだ」と言ったところで、そう簡単には行かないものだ。
 もう、どうせだったら、幸せいっぱいのハッピーエンド・ラブストーリーでもでっち上げてやろうか? 自虐的な考えさえも浮かんでくる。一度考え始めれば、あとはもう書くだけだ。QWERTYに指を走らせる。そして、ヒロインの描写を書きながら、知らずのうちにCtrl+A、そしてDel。気がつくと、ヒロインの姿として彼女を思い浮かべていた自分に嫌悪感。
 彼女は、今でも、僕の耳の中、そして目の中に。
 やっぱりだめだ。今の僕には消化なんて無理だった。時間が過ぎて、この恋が、あの遠い日の恋と同じようになるまで、ひたすらに膝を抱えているしかない。
 OSをスリープさせて、ノートを閉じる。店を出る前に波立った心を落ち着けようと、タバコに火をつける。
 ――ハートに火をつけて、はドアーズのナンバーだったか。火をつけたら、きちんと最後まで責任を持って消化してほしい。そうじゃないと、後に残るのは、真っ白に燃え尽きた灰色のガラクタだけなんだから。
 自分の心情と燃えていくタバコを重ね合わせるのにも飽きたので、荷物をまとめてコーヒーショップを出ることにする。Macとメモ帳を鞄に入れて席を立つ。トレーの上には、冷めたコーヒーと、山のように折り重なったタバコの死体。

 数歩進んだところで、後ろから呼び止める声。
「あの、これ忘れてますよ」
 その言葉に、初めて隣に座っていた人を認識する。
 方よりも少し下のあたりでそろえられた、まっすぐな髪。軽い栗色の髪と白い肌のコントラスト。モノクロームだった心が、自然の色に染まっていく。細い指には、僕が置き忘れたペンがある。そして、大きな瞳が、窺うように僕を見ていた。
「あの――どうしたんですか?」
 立ち尽くす僕を不審に思っているような声も、その女性の涼やかな響きだと、なぜか気にならなかった。
「いや、なんて言うか……」
 僕は、今離れたばかりのテーブルにもう一度トレーを置いた。
「まだコーヒーが残ってるし、もう少しゆっくりして行こうかなって」
 そして、ごまかすように笑う。
「そんな、コーヒーが残ってるなんて、立つ前に分かってるじゃないですか。もう、面白い人ですね」
 そう言いながらも、彼女の表情に不快感は見られない。
 もう恋なんてしないと誓ったのは、本の数分前のこと。
 移り気、節操なし、浮気性。
 今の僕は、そんな言葉だって甘受しよう。
 この恋が最後になるとは思わない。むしろ、最後になる確率のほうが少ないだろう。でも、僕は恋をせずにはいられない。好きになる気持ちを止められない。
 だから、痛みを恐れずに、傷を忘れることなく進んでいく。
「ええと、ありがとう。これ、大事なペンなんだ」
 彼女から、パーカーのペンを受け取るとき、微かに指が触れた。高鳴る胸。
「もう、そんなに大事だったら、忘れちゃだめですよ」
 僕は、このとき理解した。
 恋をするのに、理由はいらないと。
「うん。今度からは気をつけるよ。
 ところで――」
 そして、恋をしたら、もう引き返せないことを。

"When I fall in love." is over.
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2007年12月01日

SS13

 こんなに寒いのだから、いっそ雪が降ってしまったほうが――そう考える冬夜の街。あてもなく、ふらふらと人ごみを泳ぐ。遠く離れた故郷の街、雪を思い出しては、隣にいたはずの「彼女」を失ったことの大きさを噛み締める。
 自分たちの存在が悪だったのか? 生まれたことが罪だったのか?
 彼女を屠った十字架に問いかけても答えはないだろう。いや、遠い極東まで、遥かな時間と空間を逃げてきた自分には、問いかける資格すらない。
 戯れに、雪色の首筋に牙をたてたとしても、血は喉の乾きを癒すだけで、空虚な心の内までは埋めてくれない。
 眠らない都会は、私にネオンの灯りを投げかける。
 月明りに歩いた、遠いあの日と、汚れた人工の灯りに歩く今日の自分。彼女は、この煌めく街をどのように評するだろうか? 天の輝く星々のように、気に入るだろうか?
 感傷に浸りながらも、肉体的な乾きをとどめることができない自分を嫌悪しつつ、深まりつつある夜を歩く。酒臭い息を吐く中年の男にぶつかり、雑言を背中に受ける。噎せ返るような化粧を施した女が、色目を使う。しかし、それは心を全く動かさない。飢えに己の主義を曲げるほど、落ちぶれてはいないつもりだった。──今の自分に、プライドなど必要のないものだと、自嘲を繰り返す。
 人の溢れる師走の大通りを避けて、冷たい空気が積る路地に足を踏み入れる。靴の下で鳴るアスファルトの欠片が、あの日に踏みしめた砂利の感触を思い出させる。こんなに遠くまで来ても、まだ私の精神は、あの日の古城にしがみついたままだ。
 幸せだった二人の生活。穏やかだった日々。
 あと少し、届かなかった手。
 うずくまる彼女。
 ──脳裏に浮かぶ光景と、目の前の景色がシンクロする。
 黒く絹のように流れる髪。処女雪のように透き通る肌。夜の深い部分を汲み取ったような、黒いドレス。
 その女性に静かに近づく。
 足音に気がついたのか、顔を上げてこちらを見上げる。
 泣きはらした赤い目。柔らかな頬に、ひと房、髪がかかっている。
「誰?」
 問いには答えず、彼女の隣にしゃがみ込む。
 冷めた、怯える頬に手を伸ばす。
 あの日、届かなかった、触れられなかった、その頬に。
 愛おしいと思っているのか。決して、取り戻すことのできない過去を懐かしんでいるのか。曖昧になっていく。
 私の複雑な表情を見ていた彼女の顔が変わる。
 不審から、慈愛をたたえた女の顔へと。
 添えられた指は、白く、細い。
 そして私は、彼女を抱き、彼女に抱かれて、首筋を遥かな河のように流れる動脈に牙を突き立てた。
posted by 言人 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月13日

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 駅からの道を歩く。
 空では、まあるい月が薄い雲を照らしている。
 こんな夜だから──
 そんな言葉が浮かんだ。
 ゆっくりと苛まれる精神。
 じわりと傷んでゆく身体。
 急に、彼女の声が聞きたくなる。
 突如、線路を疾走する電車が魅力的に思える。
 こんな夜だから──
 そのあとに、僕はどんな言葉を続けようとしたのか?
 その答えは出ることのない、夏の夜。
posted by 言人 at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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