2008年01月20日

ss16

 こうなってしまった経緯は、もういらない。
 ただ存在するのは、相手と自分が対峙しているという事実のみ。
 それ以上に必要な情報など今は必要なく、わたしが下すべき決断は、単純に彼女を亡き者にするということのみ。そして、その決断は既になされている。いや、この場に立つ前に、それは既に済ませてきた。彼女とて、同じだろう。
 今、この場に立っているということは、互いに殺しあうということに他ならないのだから。
「もう、覚悟はできた?」
 彼女の声が、高い天井に響く。
 幼い頃から聞き慣れた声。わたしの好きな声。
「ええ。あなたを殺す覚悟なら、もうずっと前にできている」
 なぜ、殺しあうことになったのか。
 運命とは、かくも残酷なものなのか?
 有史以来、賢者が何度も繰り返してきた台詞。
「そう。それじゃあ、今から私に斬られるという覚悟はできていないと言うの?」
 きれいな顔が、歓喜に歪む。
 常にそばにいながらも、届くことはなかった笑顔。
 十代の少女にしか見えない肢体には、古の武人すら凌駕する力と、人類科学の粋を集めた剣技が隠されているのを知っている。
「お嬢様こそ、わたしに殺される準備はできましたか?」
 負けずに言い返し、白いワンピースに包まれた彼女を切り裂く自分の刀を夢想する。奥底から沸き上がる言いようのない高揚感。
「ふん。高々使用人風情が、私を傷つけられるとでも思っているの?」
 嘲り。
 これが、彼女の深層に眠っていた心理だったというのか?
 幼き頃から十年以上ともに過ごし、かよいあっていたと思っていたのは、自分だけだったのだろうか?
 そう思うと、やりきれない。
 だからこそ──自分が、終わらせなければならない。
 想うが故に、殺す。
 他の者になど、彼女を傷つけさせない。
 彼女を傷つけられるのは、彼女を切り刻めるのは、彼女を撃ち抜けるのは、彼女を殺せるのは自分だけだ。
「わたしは、そのように作られていますから」
 彼女とは対照的な黒衣。わたしの腰には一振りの刀。足下まで覆い隠す長いスカートの中には、何挺かの拳銃。
「へぇ。大人しい顔してると思ったら、そんなこと仕込まれてたんだ。やっぱりみんな、私がいつかはこうなるって知ってたんだ」
 無邪気に笑いながら、手に持った刀についた血を拭う。
 もう、何人の血があの鋼に吸い込まれていったのだろうか? 官能的にすら映る濡れた刀身。
「このような結果になってしまって、非常に残念です」
 左手を鞘に添える。
「嘘ばっかり。本当は私に殺されることを喜んでいるくせにっ。あはっ、私、あなたがそういうの好きだって知ってるんだから」
 殺される?
 いや、それはない。
 わたしは、自分が勝つことを疑ってはない。
 戦場に立つとき、己が負ける姿を想像している者はいない。
 脳裏に浮かべるのは、相手を斬り伏せ、生き残っている自分の姿だけだ。
 わたしは、彼女を殺す。
「──もうそろそろお時間です。始めましょうか、お嬢様」
 これ以上、時間はない。
 あと数刻すると、近衛兵団が到着してしまう。いくら出遅れたとはいえ、彼らもそれなりに無能ではない。そして、どれだけ彼女が万夫不当と言えども、一騎当千の近衛兵団一個中隊相手では、生き残ることはできない。
 彼女を殺すのは自分だ。
 今決まっているのはそれだけ。
 他の何者にも殺させない。
 もし運命というものがあるのなら、それは、今ここで彼女と闘うことではなく、わたしがこれから彼女を殺すことを指すのだろう。
「うん。いいよ」
 血刀をぶら下げ、彼女が歩み寄る。
 あまりにも不用意な、そして隙がない。
 これが、呼吸するように人を殺せるようにまで創り上げられた殺人技術を体得した者の動きか?
 しかし、彼女がそうであるように、わたしもそれを止めるべく作り上げられた存在。
 彼女が何者をも切り伏せるというのなら、わたしはその刀を打ち砕く。
 腕と一体となり跳ね上がる斬戟。
 わたしの右手は動かず、身体をさばくだけ。
 間髪入れず、横に薙ぐ剣風。
 後ろに下がりやり過ごす。
 追うように突きが放たれる。
 回り込もうとしたところには、既に刃が待っている。
 逃げようのない、刀筋。
 段々とスピードのあがる攻撃。
 流れるような銀色に、いつしか赤い糸がまとわりつく。
 それは、わたしの血。
 彼女と、わたしを繋いでいる、細い糸。
 陽炎のような、白日夢のような。
 断ち切らなければいけないのは、彼女の命ではなく、わたしと、彼女を繋ぐ、この細く美しい糸だった。
 右手が柄を握る。
 一閃。鞘走。
 光速で奔った刃を、彼女は引いて避ける。
 一筋、伸びる赤糸。
 わたしの刀が、その糸をとらえ、そして切断する。
 彼女と、わたしの間にあった糸が、絆が、切れる。
「あぁ、やっと抜いたわね」
 無垢な笑み。
「──抜かなければ、あなたを斬ることはできませんから」
 今、わたしはどのような表情をしているのだろうか?
 歓喜?
 悲しみ?
 もう、表情など、感情など無意味だ。
 これから先待ち受けるのは、彼女を殺すという事実のみ。
「それじゃあ、もう少し踊る?」
 社交界の華とも謳われた彼女が、舞うようにして奔りかかる。手には、可憐な花ではなく、冷たい銀の閃光。
 戦慄とともに襲いくる刃に、刀を合わせる。
 奏でられるは、鋼鉄のワルツ。
 鋼と鋼が歌う。
 完璧なるステップ。
 望むべくもなかった、二人のダンス。
 わたしは、歓喜に身を震わせる。
 徐々に早くなる、鼓動とテンポ。
 ──ついて来られる?
 そんな無言の問いに、行動で返答する。
 輪舞する刀筋。
 終わることない円環。
 絡み付くようにして高みに上る二重螺旋。
 人間としての根源が、今、この瞬間を望んでいた。
 互いの衣服は切り刻まれ、白い肌があらわになっている。
 返り血で、白磁の頬が赤く染まっている。
 深紅のワンピースと、漆黒のドレス。
 尽きるのは、どちらが先なのか?
 もし、この場を眺める者がいるのなら、この光景をなんと表現しただろうか?
 想像すべくもない。
 天使に悪魔が戦いを挑んでいる。
 純粋無垢なる天使が、暗黒の悪魔に聖なる一撃を加えようとする。
 振り下ろされる聖剣。
 それは、神なる存在が撃ち落とす鉄槌か。
 悪魔の刀は、神聖な力を受け止めることなく両断される。
 今まで、何合も打ち合ったことなど、まるで夢であったかのように。
 天使の顔が、哀れみの笑顔に染まる。
 そこに、ほんの一瞬の逡巡が生まれたことを悪魔は見逃さない。
 悪魔の右手は、既に半分の刀を握ってはいない。
 代わりにその手の中にあるのは、黒い鉄のかたまり。
 刀のような優雅さもない。
 あるのは、単純に人を殺す機構のみ。
 それ──拳銃が弾丸を放つ。
 初速そのままに、天使を穿つ。
 天使の刃が止まる。
「こんなっ!」
 いや、刀は止まらず、悪魔に追いすがる。
 悪魔──わたしは、どこまでも冷静だった。
 左手が、もう一挺の拳銃を掴んでいる。
 引き金を引くたびに、激鉄が銃弾を叩き、銃身を加熱させながら鉛弾が旋回し、空気中に硝煙の香りと破裂音を響かせ、天使──彼女の肢体に赤い花を咲かせる。
 天上の音楽の終わりは、地べたを這いつくばる悪魔の囁きが終わらせる。
 連続する銃声。
 止まることない、暴力の道化<violent swindle>。
 右手に握った銃のスライドがオープン。
 続いて、左手の銃も弾が切れる。
 立っているのは、わたしだけ。
 彼女は、ひび割れたアスファルトに赤い水たまりを作っていた。
「あれ? 私──」
 茫洋とした視線は、わたしをとらえているのか?
「終わりです」
 足首からリボルバーを取り出す。
 激鉄を起こす。
 六分の一廻る。
 それが、最後の回転。
 そして、最後の銃声が、天使を蒼空から撃ち堕とした。
【関連する記事】
posted by 言人 at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/79739893
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。