2007年07月16日

習作:HTP006

 それは、どこからやってくるのか? ボクは、ずっと「それ」を待っている。天上から、光のように降ってくるのか? それとも、空気のように、そこらあたりに浮かんでいるものなのか? もしかすると、地面に埋まっていたり、川を流れているのかもしれない。しかし、ボクは、まだそれを見つけられずにいる。待っていれば、手に入れられるのか? それとも、自ら作り上げなければいけないものなのか。「それ」は、ボクの手には創り出せないような類の「もの」に思えた。だから、ボクは「それ」を待っている。わからない。こうしていて、「それ」が手にはいるのかどうか。疑わしい。夜の道を歩く。線路沿い。「世界」を内包した電車が通り過ぎる。それは、社会であり、文明である。のたうつ轟音に、ボクは文章を作り出そうとする。悪い癖。文章を作ると言うことは、そこに何らかの「意味」を見つけようとする行為。そうではない。必要なのは、「そこ」にある「何か」を、そのままにして写し取るという行為ではないのか。そう、「絵画」ではなく「写真」のような、一瞬を切り取った文章が必要なのではないのか。しかして、それは文章か? 言葉の羅列ではないのか? いや、そこに──単純な事実の羅列、主観を交えぬ風景の描写、細部にまで行き渡るテキストの描写──そのようなものの中にこそ、真の小説というものは生まれるのではないだろうか?脳髄を痺れさせるような言葉が欲しいのだ。難解な単語を並べたものではなく。平凡で、小学生でも知っている、けれど、ボクの心を根こそぎ奪ってしまうような言葉が。反復する現象。思考と風景がリフレインをはじめる。視覚と聴覚、触覚に齟齬が生じる。──思考なんて、ずっとずれたままさ。自動人形のように歩を進めながら、うっすらと浮かぶ欠けた月を眺め、ブレイクビートにからみつくベースの音を聴き、思考は流れ出る妄想をとどめようともしない。通り過ぎた電車が、先のカーブで横転し、現れる阿鼻叫喚。道の真ん中に飛び出して、車に高く跳ね上げられるサラリーマン。前を歩く女性は、これから自宅の浴室で手首を切る。そして、ボクはこれから通る線路で、貨物列車に五体をバラバラに砕かれる。燃える街。その火を、川からあふれ出した水が消し止める。天上の楽団は、高らかにロックンロールスウィンドル。それでも、夜闇は静かだった。ボクは、まだ「それ」を待っている。ねっとりとまとわりつく、六月の空気。家路を急ぐ、平和な人たち。昨日も、明日も、この世の中が平和でありますように。祈りのあと、ボクは、ボクは──もう一歩、先へと進み、堕ちた虫を見つめ、耳元のアジテーションに気分を高揚させ、出てくるものもないままに、空虚な妄想の中にいた。本当は、こうなるはずじゃなかった、と思いながら。可能であるならば、今度は、ボクにもまっとうな生活が送れますように。規則正しい生活、周囲には笑顔を振りまき、誰からも愛される。自分には厳しく──人にはもっと厳しく。休みには、友人と遊んだり、同僚とゴルフに行ったり。もちろん、恋人と過ごす大切な時間は忘れない。健全であれ。ただ、穏やかに。妄想などすることなく。現実をしっかりと見つめる。もう、逃げ込まない。穏やかに。穏やかに。穏やかに。「それ」など求めることのない人生を! ボクは、結局そう考えている行為そのものがすでに、平穏で健全な精神の所行ではなく、病んだ妄想の果てであることに気づき、絶望と共に前を通り過ぎる通勤電車を見送った。夜は長く、人生は短い。しかし、どちらも、まだ終わりそうにはなかった。
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posted by 言人 at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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