2005年06月23日

青い夜空

 その少女は、夜のカフェで紅茶を飲んでいた。
 店は繁盛していて、どのテーブルも愛をささやく恋人達や、毎日の糧に談笑を交わす友人達でいっぱいだった。だから、僕は仕方がなく、その少女と同じテーブルに座った。通りを眺めたかったので、窓の外が見られる席に座る。それは、自然に少女の隣の席だった。
「珍しいのね」
 軽いアルコールを運んできた店員がテーブルを離れると、彼女はそうやって僕に話しかけてきた。
「珍しいって、何が?」
「こういうときは、先客の対角線上に位置するように座ろうとするものだわ。それなのに、あなたはすっと私の隣に座ったわ。はじめは、この人ナンパでもするの? と思ったけど、私に声をかけるそぶりもないし。ーー自分で言うのも何だけど、私、見知らぬ男の人に声をかけられても良いくらいの容姿は持っているつもりなの」
 そう言う彼女は、確かに可愛い。座ってすぐ声をかけなかったことに、今更ながら後悔する。しかし、もし声をかけていたら、彼女はすっと前に席を立って、この店を出て行ってしまっていただろう。
「……聞いても、おもしろい事なんてないよ」
「それでも良いわ。私、がっかりなんてしない」
 一瞬迷ったあと、話すことにした。
「外を、見ていたんだ」
「外を? ここから見えるのは、どこにでもあるような、ありふれた風景だけ。あなたは、それを見ていたの?」
「がっかりしただろ」
「いいえ、もっとあなたに興味を持ったわ。良ければ、どうして外を見ていたのか教えてくれる?」
 柔らかそうな髪をかき上げながら言った。
 好奇心丸出しの彼女に、理由をそのまま教えるのはもったいないと思った。
 そもそも、本当にどうしても外が見たかった訳じゃない。カフェの中を見るよりはおもしろそうだと思っただけだ。
「ーー君は、カフェの中を眺めるでもなく、鞄から文庫本を取り出すでもない。そして、隣の可愛い女の子にも声をかけない男が、どうして外を眺めていたんだと思う?」
「質問を質問で返すのは、あまり感心しないわね」
「気を害したのなら、謝るよ」
「でも、今回は特別。考えてみれば、私の質問も短絡的で無粋だったかもしれない。それに比べれば、あなたの質問は素敵だったわ」
 満足そうに微笑む。
「ええと、あなたが外を眺めていた理由ね? そうね……誰かが来るのを待っていたから。その人が通りからこの店に入ってくるのを見逃さないように、というのはどう?」
「残念ながら、僕には待ち人はいないよ。ほら、寂しそうに見えるだろ?」
「確かに、いつも大勢でいるような人には見えないわね」
 ……本当に素直な物言いだ。
「人を待っていたんじゃないとすれば、僕はどうしていたんだと思う?」
 気を取り直して。
「ええと、ちょっと待って」
 そう言って彼女は、その大きな瞳で僕の顔を見つめた。
 微かに潤んだ瞳に、形良くそろった睫毛。
「ど、どうしたんだい?」
 こんな風に見つめられて、胸を高鳴らせない男はいない。
「あなたを見てるの」
「どうして?」
「通りを眺めていたのはあなただから。一般的にどんな理由があるかとか、そう言うのは無意味なのよ。普通の人が通りを眺めていた理由を考えるんじゃなくて、あなたが通りを眺めていた理由を考えるんだから」
 僕は、彼女の、微かに褐色の瞳から目を離すことができない。
「……きれいな瞳」
 ぽつりと、彼女の口から声が漏れる。
「僕の瞳が?」
「そう、あなたの瞳が」
「誰にだってあるような、なんの特徴もない瞳だよ」
「それは、あなたがそう思っているだけよ」
「そうかな」
「そうよ」
 きれいだというのなら、彼女の瞳の方が僕の瞳よりもずっときれいだろう。
「そんなにきれいなのは、きっときれいな色を見ていたからね」
「色?」
「色。それも、きっと、きれいなコバルトブルー」
「どうして、コバルトブルー?」
「コバルトブルーは、世界で一番素敵な青だわ」
「鮮やかなスカイブルーとか、透き通るエメラルドブルーだとかはだめなのかい?」
「スカイブルーは、鮮やかすぎて軽薄だわ。エメラルドブルーには奥深さがないわ」
「それじゃあ、どうしてコバルトブルー?」
「コバルトブルーは優しくて、あえかで、柔らかくて、そして冷たいわ」
「冷たい?」
「だって、コバルトブルーは夜の青だから」
 その、冷たさに触れるように、彼女は細い指を僕の頬に伸ばし、僕の視界には、コバルトブルーに浮かび始めた、今宵の星が見え始めていた。

"Blue Cafe" is over.
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posted by 言人 at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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