2006年11月19日

習作:HTP_002

 銀弧が奔る。紙一重でかわす。絶え間ない剣戟。少しでも触れれば断絶。それ故、止まることは許されない。絶えず動きながら、逆転の隙を窺う。鞘に収めたままの刀。それを抜かせてくれるほど、敵も甘くはない。下段からの鋭い切り上げ。黒いロングドレスの裾が斬られる。数メートルの間合いをとる。敵は、乱れた息を整えるように、静かに正眼に構える。私も、すぅと腰を下ろし、柄を握る右手に力を込める。いや、ここで力んではいけない。敵をよく見ろ。大きな体──私よりも数十センチは背が高い。体中から剣呑ならぬ気配を発している。圧倒される。ただ、こうして対面しているだけで、私が纏う純白のエプロンも、黒のロングドレスも、細切れに切り刻まれてしまうかのよう。それでも、ここは退くわけにはいかない。勝負は一瞬のうちにつくだろう。頭の中を、幾通りもの光景がよぎっては消える。上段からの剣筋──鞘走りが一瞬遅れ、その遅れが命取りになる。胴をなぎ払う鋭い一撃──刀ごと両断される。閃光のように稲奔る突き──なすすべなくひと突きにされる心臓。冷や汗が、背中を伝う。両眼で、しかと眼前を見据える。負けてはいけない。背中を見せるのなどもってのほか。弱気になっては、勝てるのも勝てなくなる。イメージするのだ。私が敵を切り裂くところを。上段からの剣筋──刃が私の頭骨を砕く前に、鞘から放たれた銀光が敵の胴に吸い込まれている。胴をなぎ払う鋭い一撃──鍔元を胴で受ければ、傷は浅く、私の刀は敵の身体を両断するだろう。閃光のように稲奔る突き──すんでの所でかわし、袈裟に刃を入れてやる。大丈夫だ。私は、勝てる。髪留めを斬られたせいか、一房、頬にかかる。ホワイトブリムはすでに両断された哀れな姿を床にさらしている。私は、ああはならない。メイドとして、目の前の敵に負けることは許されない。「きえええぇ」雄叫びと共に、刃が頭上に迫る。一瞬にして縮まる間合い。一瞬よりも、早く。刹那よりも早く。光速で鞘走る。奔る。砂の粒ほどの時間も無駄にはできない。私が刀を抜いたからには、負けないという事実。私が抜いた刀は、他の何よりも速いという事実。因果を逆転させろ。矛盾を起こせ。前提も過程も理論も何もいらない。必要なのは、私が刀を抜いたからには、敵は必ず倒れるという結果のみ。敵の力強い討ち下ろしは、私にはあたらない。敵の刃は私を両断することはない。なぜなら、敵は私に倒されるから。両断するのは、敵の剣ではなく、私の刀。両断されるのは、私の身体ではなく、敵の身体。それが、私が刀を抜いた瞬間に決定した事実。疾風怒濤。乾坤一擲。時間の間隔など、今、この刹那には無意味。どちらが速いか、どちらが遅いか、答えはいらぬ。刃紋の揺らめき。血を吸え。飢えているのか? 血液ならば、いくらでも吸わせてやる。だから、切り裂け、眼前の敵を! 肉を斬れ、骨を断て、そして、生命を絶て。斬撃は両者の目に映らないだろう。己の渾身を込めた一撃故に。刀は、生命を持つかのように、自動的に身体へと吸い込まれていく。迸る、血液。それは、私のものなのか、それとも、敵のものなのか。雫ではなく、噴水のような血。赤く染まるエプロン。いや、この顔も赤い狂気に浸っているのだろう。そうだ。こうして、狂いそうなシャワーを浴びている。そう認知している私がいる。ならば、私は勝ったのだろう。勝利の歓喜も、高揚も、感慨すらない。これが、勝つと言うことなのか。刀を伝う赤い雫。ぽたり、ぽたりと床に落ちる。黒髪を濡らす、赤。そこには、恍惚とした私だけがいた。
ラベル:HTP
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posted by 言人 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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