2006年02月05日

喫茶店の文章家

 最近では、普通の喫茶店というものはすっかり影をひそめてしまい、クラスメイトは代わりにセルフサービス式のコーヒーショップで話に興じていた。私は、彼女たちに会うのが嫌だったので、いつも駅から少し離れた路地にある、二十年前のテレビドラマにでてきても違和感がないような喫茶店で一人放課後を過ごしていた。

 店内には薄くジャズが流れていて、それを聴いているのは、私のほかに喫茶店のマスターと、奥の席で難しそうなハードカバーを読んでいる大学生風の青年だけ。
 いつもの席に座り、いつものようにコーヒーを口にしながら、iBookの電源を入れる。インストールされているOSもXではなく9で、現行モデルのようにシンプルなラインで構成された白い筐体ではなく、デザイナーの遊び心だけで構成されたような、貝殻にも似た独特の外見が私は好きだった。
 やがて、ゆっくりとOSが立ち上がる。タッチパッドに指を滑らせてアイコンにポインタを重ねる。右手の親指で、軽くダブルクリック。テキストエディタが起動する。そして、気ままにキーボードを叩く。
 文章を作るのは気持ちが良い。
 それほど気の合わない友人と、次の日には忘れてしまうような会話を交わしたり、カラオケでだらだらと歌ったり、そういうことをするよりも、全然気持ち良い。
 もちろん、次にどのような文字を綴るのかに頭を悩ますこともあるが、その苦しみですら快楽に感じてしまう。
 ハイハットにあわせてキーを叩き、ブレイクのところで、エンター。
 フォービートにあわせてリズミカルに。
 鬩ぎあうようなピアノとベースの合間を、私の打鍵が駆け抜ける。
 滑らかに流れるサックスの裏でメロディ。

 小一時間、そうしてキーボードを打ちつづけて、iBookのモニタにはひとつの文章ができていた。
「できたのかい?」
 声に顔を上げると、先ほどまで分厚い本を読んでいたはずの青年がそこにいた。
「あっ――ええと……」
 突然話し掛けられて、まともな返事ができない。いや、もともと誰かと話をするのは得意じゃない。
「ちょっと、読ませてもらっていいかな?」
 彼はそう言って、私の斜向かいの席に座る。
「は、はい。どうぞ――」
 iBookをくるりと回して、彼のほうに向ける。
「それじゃあ――」
 パチパチと、カーソルキーを叩く音が響く。彼は、先ほどまで本を読んでいたのと変わらぬ表情で私の文章を読んでいる。私は、自分が書いたものを目の前で読まれているというのがどうにも恥ずかしくて、冷めていくコーヒーをじっと見つめるしかできなかった。
「――ありがとう」
 短い時間で書いた文章の量なんてたかが知れている。私が恥ずかしい思いで俯いていたのも、それほど長い間じゃなかった。
「あの……どうでした?」
 恐る恐る尋ねてみる。答えを聞くのは怖いけど、このまま何も聞かないというのはもっと怖いような気がしたから。
「そうだね……いつも、こういうのを書いていたの?」
「いつもって言うわけじゃないですけど、大体同じような感じで……」
「ふうん。もっと早く読ませてもらっていれば良かったかな」
 その後、彼は私の文章について、とても長い感想を述べてくれた。たったあれだけの時間で書いた文章がもらうには勿体くらいの感想を。彼の使う言葉は、私にはちょっと難しいものもあって、すべてを理解できなかったけれど、自分の書いたものが、こうやって誰かから言葉をもらえて、とても嬉しかった。

「悪かったね、突然読ませてくれなんて言って」
 彼は今更になってそんなことを言い、少しはにかんだ表情を見せた。
「こちらこそ、わざわざ感想までいただいちゃって」
 そんな表情を見て、なぜか私のほうが恥ずかしくなる。
「いや、実は前からどんなのを書いてるのかなぁ、と気になってはいたんだけどね。なかなかきっかけって言うか、なんと言うか、話し掛けちゃって良いのかなぁって思ったりね」
「私も、今日は突然でちょっとびっくりしちゃいました。でも、読んでもらえてとても良かったです」
 お礼に、私ができる最高の微笑を返す。
 ほんの少し顔を赤くして、視線をはずして、ぽそりと何かを呟く彼を見て、私はちょっとしたいたずらをしてみる。
「あ、もしかしたら、かわいいとかって思いました?」
 軽く上目遣いで彼の目を覗き込む。
 でも、言葉とは裏腹で心臓は早鐘を鳴らし続けている。店内のジャズはクールなフォービートなのに、私のハートは狂ったようなエイトビート。
「う、いや、なんと言うかさ……」
 彼の視線が、助けを求めるようにさまよう。
 私も、それ以上言葉を繋げられない。もともと、あういういたずらっぽい台詞なんて私には似合わない。
 二人とも何も言えず、トリオのメロディだけが店内に響いていた。
「あ、あのっ」
 耐えられず、私は声を出した。何も思い浮かばないけど、黙っているよりはきっとまし。
「何かな?」
 少しは落ち着いたのか、彼は年相応に大人ぶった声を出す。これが、たった数年でも過ごしてきた年月の違いというものだろう。でも、それであるなら、もっと早くに今の雰囲気を何とかして欲しかった。
「お願いがあるんですけど……」
 そう口に出して、私はやっと自分が何を求めていたかに気が付いた。
「また、私の書いたものを読んでもらって良いですか?」
 じっと彼を見つめる。自分をかわいく見せようとかそんなことを考える余裕なんてない。だから、彼も今度は目をそらさずに私の目を見つめ返してきた。
 テーブルをはさんで、見詰め合う。
 ピアノとベースが、絡み合うようにソロの応酬を繰り返している。
「――良いよ。僕の感想でよければ、いくらでも聞かせてあげるよ」
 彼はそう言って席を立つ。手には、私のテーブルに置いてあった伝票。
「あ、あの」
「ん? 約束とかしなくたって、また明日とか、その次の日とか来ればいるだろ?」
「いえ、そうじゃなくて……」
「ああ、これ?」
 手に持った伝票をひらひらと振る。
「良いもの読ませてもらったからね。そのお礼。――あ、でも次からはないからね。今日だけは特別さ」
 私は、会計を済ませてカラカラという鐘の音ともに出て行く彼をただ黙って見送るしかできなかった。
「もう、ずるい……」
 なぜか、そんな言葉が自然と口をつく。
 ビル・エヴァンズがMy Foolish Heartを弾いていた。

"My Foolish heart" is over.
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posted by 言人 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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