2006年01月02日

或る文章家の言葉

 小説が産まれる時というのは、特別な時ではない。
 歴史に残るようなライブの夜でもなければ、熱狂の舞台の上でもない。
 ただただ、一人、机に向かい文字を並べているその延長線上にのみ、小説が姿をあらわす。
 昔は万年筆が原稿用紙に文字を並べていたが、現代の文章家たちはQWERTY配列のキーボードで電子データを創り出す。
 それ以外は変わることはない。
 微かなランプの灯りが、青白いモニターの発光が文章家の顔を照らす。
 朗々と響く台詞も、絹織物のようなピアノの調べも、轟音で繊細なディストーションギターもない。
 ひたすらに文字を並べる音だけが響く。
 画家がキャンバスを鮮やかな色彩で飾り立てる代わりに、文章家は画面に味気ない文字を並べていく。
 文章は、弱い。
 絵や写真のように、美しい風景を切り取ることができない。
 オーケストラのように壮大な幻想も、ロックのように直情的な初期衝動もない。
 あるのは、文章家の妄想だけ。
 暗い部屋で、ひとり綴り続けた妄想だけが、文章にあらわれる。
 陽のあたる場所を、彼らは望む術を知らない。
 彼らにとって、太陽は希望ではない。
 それは、狂った理性の象徴であり、人を殺す理由たるものである。
 銀幕のヒーローよりも、地下室の青年に。
 テレビのアイドルよりも、ふとんの中の虫に。
 スポットライトの下で愛を訴えるよりも、牢獄で自分を殺してくれと懇願する。
 これが、彼らの本性である。
 弱い彼らが創り出す文章もまた弱いことは、当然の摂理である。
 だから、やめてくれ。
 そんな目で、私を見るのはやめてくれないか?
 私は、弱いんだ。
 太陽の光にも、
 スクリーンに映るスターの表情にも、
 遠い異国の風景を描いた絵画にも、
 あのストラトのパワーコードにも、
 そして、無邪気な子供の笑顔にも耐えられない。
 私は、弱いんだ。
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posted by 言人 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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