2010年09月17日

ss08

 ステンドグラスから、青く色づいた光が差している。
 外は、冷たい雨。いっそのこと、雪なってくれたのなら──と、ヒビナは祈らずにはいられなかった。寒さに震えるように、寂しさを抱き留めるように、ブレザーをかきあわせる。それでも、礼拝堂の冷たい床板は、彼女の身体だけでなく、心までも冷やしていった。
 雨音の向こうに、待ち人の足音を探す。
 秘密の、逢瀬。
 後悔はない。
 けれど、ヒビナは今でも迷っている。
 こうすることが、本当に私と彼女──スズツキのためになるのだろうか? 私たちは、幸せになれるのだろうか? と。
 しかし、ひとりではその問いに答えることはできない。
 なぜなら、問いは、ヒビナとスズツキのふたりに投げかけられたものだから。
 だから、答えを出すのもふたり。

 やがて、重たい木の扉が開かれ、雨音が礼拝堂の静寂を敲く。
「スズツキ……」
 振り返ったヒビナの目に飛び込んできたのは、冬だというのに、コートどころかブレザーも羽織らずに、きれいな長い髪を氷雨に濡らしたスズツキの姿だった。
「ねぇ、ヒビナ……」
 雨を引きずりながら、ゆっくりと前へと進む。
 扉の閉じた礼拝堂に、二人の少女が残された。
「濡れてるよ、スズツキ」
 手の届く距離に。
「うん。わかってる」
 けれど、触れられない。
「寒いでしょ?」
 触れてしまうと、そこで終わる気がした。
「ううん。大丈夫」
 だから、触れられない。
「嘘。そんなに震えてるのに」
 寒さだけじゃない。
「大丈夫、だから」
 濡れたブラウスに、透き通るような白い肌が透けている。
 礼拝堂に差す光は弱々しく、空気はだんだんと凍り付いていく。
 少女は、どうして良いのかわからない。
 目の前の少女を抱きしめて良いのか?
 目の前の少女に、全てを委ねても良いのか?
 ほんの少しの距離が遠い。
 二人の間を埋めるものは、何?
「私……」
 ゆっくりと手を伸ばすヒビナ。
 冷たくて、なめらかな頬。
「……いいの?」
 小さな声。
 それでも、心の底まで響くのは、礼拝堂の反響のせい? それとも、その言葉を待ち望んでいたから?
 問の答えを探すように。
 もう、二度と迷わないように。
 少しずつ、ゆっくりと二人の距離を縮める。
 濡れた身体を暖めるように、抱きしめる。
 そして、間近に濡れた瞳。
 吐息を、柔らかい頬に感じる。
 そして、彼女の唇と、彼女の唇の距離が零になったとき、二人の間に迷いはなく、哀れな子羊たちを、マリア様が慈しむように見つめていた。
posted by 言人 at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ss07

「遅いな……」
 裕一は、窓から冷たい雨の降る街を見下ろしながら呟いた。
 今日は、それほど遅くなることはないって言っていたのに。
 濡れる街は、彼の心の中までも、じっとりと湿らせていく。
 嫌な考えが浮かぶ。それを、振り払う。まるで、子犬がふるふると水をきるように。
 それでも、裕一は、不安を拭い去ることができない。
 指は、自然と啓一郎がよく座っているソファーを撫でていた。
 その上に座る者を求める。
 雨の街は、薄暗い。
 心に忍び寄る、闇。
 自分が、もう少し大人だったら、と思う。
 そうであれば、啓一郎の帰りが遅くなっても、これほどに不安に思うこともないだろうに。
 ──俺は、そういうお前の子どもっぽいところ好きだけどな。
 啓一郎は、よくそう言って、まるで子どもをあやすように裕一の頭を撫でる。
 その、細いけれど力強い指が、裕一は好きだった。

 がちゃ。
 玄関のドアが鳴る音。
「どうしたの? こんな遅く──」
 裕一は、それ以上続けられなかった。
「──遅くなった。すまない」
 答える啓一郎は、全身ずぶ濡れで、短く刈った髪からは、水が流れていた。
 白いシャツは、透けて、彼の鍛えられた身体に張り付いている。
 濡れるままに任せた、としか言えない。
 冷めていく啓一郎の体温とは裏腹に、裕一の心は、熱くなっていった。

 裕一は、何も事情を話そうとしない啓一郎を、とりあえず風呂にいれ、その間、啓一郎が好きでよく飲むコーヒーを淹れる。
 何があったの? それが聞けない。
 聞いたら、答えてくれるかもしれない。
 でも、それは僕が聞いていいことなの?
 自問自答を繰り返す。
 僕が子どもだから、決断ができないんだ。
 そう、自分を責める。
 外から聞こえる雨音が、彼の精神を責めていた。

 シャワーで身体を温めてきたあとでも、啓一郎は何も話そうとしなかった。
「ねぇ、コーヒーおいしい?」
「ああ」
「今日はね、ちょっといつもとブレンドを変えてみたんだけど、どうかな?」
「ああ、良いよ」
 言葉だけなら優しいかもしれない。
 けれど、啓一郎の顔は伏せられたままで、白いマグカップの中身は、ほんの少し口を付けられただけで、冷めるのを待っていた。

 雨音のノイズ。
 心音のスタッカート。
 浮かんでは、消える言葉。
 形にならない。
 それでも、形にしようとするのはなぜなのだろうか?
 言葉が、繋ぎ止めるから?

「──あの、さ」
 裕一が、すっと啓一郎の隣に座る。
「何?」
 啓一郎は、やはり、顔を伏せたまま。
「僕じゃ、ダメなのかな?」
 無理に、その顔をのぞき込まないように。視線を交えるのが怖いから。
「何が、だ?」
 ゆっくりと、裕一を見る。
 啓一郎が目にした、虚空を見つめるその横顔は、どこか思い詰めたような、そして、何かを決意したような、そんな不思議な表情だった。
「僕じゃ、啓一郎の力になれないのかな?」
 裕一も、顔を啓一郎の方に向ける。
 二人の視線が、絡み合う。
 互いに、見つめる。相手の真意をはかるように。
「そんなこと──お前こそ、俺のことなんて……」
「違うっ!」
 裕一の大きな声に、啓一郎がびくりとする。
「違うよ? 僕は、啓一郎のためになりたいんだよ?」
 ゆるゆると、裕一の小さな手が、啓一郎の頬に伸びる。
「僕は、啓一郎のためなら……」
 その、小さな手に、啓一郎の指が添えられる。
「俺こそ、お前がいないとダメだ……」
 流れる涙。

 冷たい雨は、降り止もうとはしていなかった。
posted by 言人 at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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