2007年12月01日

SS13

 こんなに寒いのだから、いっそ雪が降ってしまったほうが――そう考える冬夜の街。あてもなく、ふらふらと人ごみを泳ぐ。遠く離れた故郷の街、雪を思い出しては、隣にいたはずの「彼女」を失ったことの大きさを噛み締める。
 自分たちの存在が悪だったのか? 生まれたことが罪だったのか?
 彼女を屠った十字架に問いかけても答えはないだろう。いや、遠い極東まで、遥かな時間と空間を逃げてきた自分には、問いかける資格すらない。
 戯れに、雪色の首筋に牙をたてたとしても、血は喉の乾きを癒すだけで、空虚な心の内までは埋めてくれない。
 眠らない都会は、私にネオンの灯りを投げかける。
 月明りに歩いた、遠いあの日と、汚れた人工の灯りに歩く今日の自分。彼女は、この煌めく街をどのように評するだろうか? 天の輝く星々のように、気に入るだろうか?
 感傷に浸りながらも、肉体的な乾きをとどめることができない自分を嫌悪しつつ、深まりつつある夜を歩く。酒臭い息を吐く中年の男にぶつかり、雑言を背中に受ける。噎せ返るような化粧を施した女が、色目を使う。しかし、それは心を全く動かさない。飢えに己の主義を曲げるほど、落ちぶれてはいないつもりだった。──今の自分に、プライドなど必要のないものだと、自嘲を繰り返す。
 人の溢れる師走の大通りを避けて、冷たい空気が積る路地に足を踏み入れる。靴の下で鳴るアスファルトの欠片が、あの日に踏みしめた砂利の感触を思い出させる。こんなに遠くまで来ても、まだ私の精神は、あの日の古城にしがみついたままだ。
 幸せだった二人の生活。穏やかだった日々。
 あと少し、届かなかった手。
 うずくまる彼女。
 ──脳裏に浮かぶ光景と、目の前の景色がシンクロする。
 黒く絹のように流れる髪。処女雪のように透き通る肌。夜の深い部分を汲み取ったような、黒いドレス。
 その女性に静かに近づく。
 足音に気がついたのか、顔を上げてこちらを見上げる。
 泣きはらした赤い目。柔らかな頬に、ひと房、髪がかかっている。
「誰?」
 問いには答えず、彼女の隣にしゃがみ込む。
 冷めた、怯える頬に手を伸ばす。
 あの日、届かなかった、触れられなかった、その頬に。
 愛おしいと思っているのか。決して、取り戻すことのできない過去を懐かしんでいるのか。曖昧になっていく。
 私の複雑な表情を見ていた彼女の顔が変わる。
 不審から、慈愛をたたえた女の顔へと。
 添えられた指は、白く、細い。
 そして私は、彼女を抱き、彼女に抱かれて、首筋を遥かな河のように流れる動脈に牙を突き立てた。
posted by 言人 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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